2017年12月20日水曜日

家族写真




毎年恒例の家族写真、今年も撮りにいきました。
少しずつ成長していく姿が、とても嬉しくなります。

アフロさん、いつもありがとうございます!

2017年12月19日火曜日

経済理論の良し悪し

冬は、色々な情報が目にも頭にもとまります。
オンシーズンでは、目に止まっても、
頭の中はアスパラでいっぱいなので、
すぐに消えてしまいます。

今回は経済理論を語ろうという訳ではありません。
経済性が伴うのが自営業の宿命というか、
理念と理想だけでは事業は続けられません。

いつも思うことのひとつに、
「いいアスパラをつくり、
いいアスパラを食べたいと思っている人に、
いい状態で食べてもらうにはどうしたらいいか」
があります。
これを追っていると、いい生産者に出会って研鑽でき、
いい流通業者と交流して情報交換ができ、
いい小売店に品定めをしてもらったり、
いい消費者から厳しい意見をもらえたり、
色々といいことがあります。
ここに経済性もついてくるので、経営が成り立ちます。

でも、それだけでは、ここの経営はよくなっても、
社会はよく回らないと思ってます。
子どもにいいもの、栄養あるものを食べて欲しい。
そのためには収益なんか度外視でいいから、
給食や食費に困っている家庭に野菜や果物を届けたい、
そう思ってます。
これは、上記のようないいサイクルを生まないことが多いです。

その理由のひとつに、経済性が伴わないことが多いからだと思います。
私がそう思っていても、届けたい子供たちと私をつなぐ
体勢が整っていないのです。
「お前がやればいい」という乱暴な理屈はここでは無視します。
だって、それやってたら私がモタナイ。
社会で解決したいことのひとつだと思ってます。

本来は、規格外とかキズ物の青果物は、
そういう流通に乗るのが相応しいと思います。
農家や加工業者が経済の理屈をかざして利用するのではなく、
困っている人や、大事な身体をつくっている子供たちに。
その仕組みはこれから作れるのかな。
10年間農業をやってきて、
ずーっとぼんやりと頭から消えないことのひとつです。
我々は実践者たる経営者でありながら、
社会の困りごとを解決することを生業としているとも言えると思います。
ひとつの恩の還元方法として、模索します。


12月中旬でこの雪は、久しぶりの大雪の予感。


子供たちは17日に初滑り。


そして夏に出来ない食べ歩きができる冬。
札幌を離れて10年にもなるため、尊敬する小西さんの
著書をもとに出かけたいと思います。
(アスパラの発送先がたくさん掲載されているのも嬉しい^^)

2017年12月17日日曜日

正義の違い

重いタイトルですね。
しかも少し抽象的な話なので、まったく面白くありません。
書いていても退屈ですが、少し頭を整理したくて。
正義とは、個人個人で違うものだというのが、
私の考え方です。

だから、絶対にこれが正しい、というこはありえない。
それぞれの大事にするポイントと、
それぞれの優先順位と、
それぞれの主張があって然りです。

ある忘年会にて、「農協の組合員にとって
どういうことが良いことで、
どういうことが悪いことなのか」
と言ったことが話題になりました。

農協の組合員なら、農協に全て出荷することが
絶対に正しいことで、それ以外は悪いことなのか?
例えば、10トン収穫して全量出荷する人と、
20トン収穫して15トン出荷する人なら、とか。
出荷するけど販売価格が原価割れでも出荷すべきか、とか。
どうしようもない議論になる。

何が言いたいかというと、怒鳴りあっても意味がなくて、
現状を正しく認識することと、
それを踏まえてどうやって進んでいくかを、
広い視野から考えるべきなのです。

それが自分のことだけって見えた時点で、
その人は僕にとって許せない人になります。
そうなっては議論にならないので、
なるべくそういう部分は見ないようにしているのです。
小さい街では、見えなくてもいい部分まで見えてしまいます。
ますます口と目を閉じたくなるようなことが。

さらに、実は私も論理的な議論が得意ではありません。
感情で言ってしまうし、感情的にこられたら感情で返してしまいます。
だから、そういう風にならないように、
自分と違う意見や、自分の正義に反する話は、
なるべく他人事と思って話を聞くようにしています。
たった一言で、積み重ねてきた全てを崩壊させることが、
どこの社会でもよくあります。
その一言をよく発してしまうようですが、
その一言を言われる準備はしているほうだと思います。
せめて私からは感情で返さないように、と。

街を俯瞰しているとか、偉そうなことを言っているつもりはありません。
色々なことに、色々なひとが気づくには、
もう少し時間がかかるし、
もう少し色々なことが壊れてからじゃないと取り組めないと感じてます。
色々なことに甘えている農家には、そうも見えます。

2017年12月6日水曜日

冬の入り口

毎年恒例の女子のお泊まり会!
かわいいことに、全員でシンデレラを演じてました!



外で雪遊びができるようになり、駆り出される。

スキーするのは楽だけど、雪原で想像力を働かせて
遊ぶというのはなんて難しいんだ、と痛感。
子どもは何でも遊べてすごいなあ。


やっぱり2人で遊ぶのは大好き。


ようやく50cmくらいは積もったかな。
20kmくらい離れた地域ではすでに1mくらい積もっているので、
こちらは少ないほうです。


防風の中、名も知らぬ鳥が一羽休みにきてました。
寝室の窓の物干し金具に。

失敗は怖いか

失敗することへの恐怖。
これは失敗がその後に及ぼす影響も然ることながら、
自信喪失や信用失墜など、様々なことへ波及する。

金銭的にも精神的にも、この失敗をしないことが一番。
だが、小さな失敗という名の「経験」こそが、
ある種の成功のためには非常に大きな意味を持つと思う。

失敗を怖れることこそ、自己成長には障害となる。
失敗をわざわざすることはない。
というよりも、賢い人や良く考える人ほど、
失敗しないように事前に予防線を張る術をよく知っている。
その予防線を張るアンテナのようなものは、
机上の勉強や情報収集、失敗などの経験からくるものだろう。

それでも、失敗はおこる。
私が思うのは、経営者としての失敗と、
従業員としての失敗の、ことの大きさの差だ。
従業員としての挑戦は、失敗の責任は社長がとるので、
気軽に考えられる反面、取り組む事業の規模も小さくなりがち。
経営者の挑戦は社運を左右するため、
失敗の責任も規模も大きくなりがち。

事業継承を受けて2年、これまでよりも好きなことができる反面、
ひとつひとつの選択・決断には熟考を要している。
数も多いので、ある程度のスピードの中で
的確な選択をしていく作業、本当に日々の小事が大事だ。

話が逸れてしまったが、失敗することはある、と言い切れる。
なぜなら、最後の結果が良く出るか悪く出るか、半分は運によるからだ。
失敗を糧にしろ、というのは簡単だが、
失敗のショックから立ち直るだけでも大変だ。
それでも尚、失敗をしてでも挑戦した方がいい。
なぜなら、自分を成長させるのは挑戦であり、
挑戦には失敗がつきものだからだ。

上手くいってる時には、見えにくいのが失敗だ。
失敗する可能性は常にあるし、
その傾向なんて至る所から見えているし、
失敗するかしないかは紙一重のことがほとんどだ。
どこに落とし穴があるかわからない。

失敗することは、恥ずかしくないし、隠すことでもない。
それをもとに、助けが得られたり、仲間が増えたり、
誰も見つけられなかった解決策を見つけたり、
これまで見えていなかった世界と出会うきっかけにもなる。

失敗は怖くないので、挑戦しましょう、という話・・・?
というわけでもないのだけれど、
考えて、人のために挑戦していくことは、
結果がどっちにころんでも自分を成長させるし、
あとあと良い方向に進むことが多い、と言い切れる。

2017年12月4日月曜日

アスパラで儲け(稼ぎ)たいという思い

(おことわり:今回は農家向けに書いてますので、
文字ばかりで申し訳ありません。)

農作物に限ったことではないすが、
ひとつの事業、ひとつの商品で儲け(稼ぎ)たい、という
希望のような、意欲のような、目的は、
当然ながらたくさんの人が持つと思います。

稼ぐとか儲けるというと、甘い話や夢の話に聞こえてしまいますが、
そんな簡単な話はありません。
僕は「アスパラだけで食える農家になりたい」と決めて
もう6年経ちますが、毎年毎年、
そこまで実現する困難な状況にヘコタレそうになります。

タイトルの思いは、私の思いではなく、
そういう思いで農業をしたり相談してくれたりする方が
何名かいるので、肯定も批判もせずに、考えだけ書こうと思いました。


実現可能か不可能かと聞かれれば、可能です。
でも、どの程度で儲けたと感じるか、には個人差があります。
望む生活の質、養う家族の数、抱える経営上の借金などなど。

どの程度儲けたいか、という問いには、
だいたい大雑把な答えが返ってきます。
それなりに暮らせれば、
子どもに十分な時間とお金を使えれば、
60歳には引退できるくらい稼げれば、
豪邸と高級車と高級腕時計と・・・、などなど。
そしてその儲けを達成するには、
それに合わせた経営規模と適正人員と本人の努力が必要です。

アスパラの適正規模や生産量やハウス・露地の作付けについても、
現状から目標に向けた差によって、どうすべきかが見えてきます。

失敗事例が多いうちやま農園としては、
過度の収量を見込むことなく、
かといって過小評価もせず、
掛ける手間も規模に合わせてある程度見込み、
何となく見えてくるものがあります。
ですが、技術・気候・市場価格高騰・暴落などの要因で
良くも悪くも大きく変動する年はあります。
それでも、10年を一区間とすると、大きなズレはないと思います。

書いてて気づきました、アスパラは長期戦です。
単年の計画しかできないのであれば、アスパラは取り組めません。
ザックリでいいので、3年後、5年後、10年後の見通しが必要です。
今年金にならないことを、来年・再来年のためにやります。
投資って、たぶんそういうこと。
果樹はもちろんですが、機械投資の回収計画ともアスパラ作りは似てます。

そして、一番美味しいアスパラはどれか、
みたいなアホらしい競争にも加わる必要はありません。
(もちろん納得いくものづくりをすることは最低限必要)
アスパラの品質は多岐に渡ります。
保存の利くものでもないし、土の影響を大きく受けるため、
どのアスパラが美味しいか、というよりも、
それぞれの天候・土・育て方によってこんな味のアスパラになりました、
と自信をもって言えるはずです。
それだけ、アスパラ自体の味は美味しいと受け入れられているのです。
ここに大きなチャンスがあると思ってます。

米価が上がったことによって稲作農家の経営危機は回避されましたが、
現在の流通状況からは、野菜が近い将来まったく足りなくなるという
状況が起こりそうです。
減反政策が終了し、北海道では産地交付金の付かない野菜作りは
どんどん高齢化し、衰退しています。
地域を守る、農村社会の維持、地域振興などなど、
農業が中心となる地域では、稲作だけでは先細りです。
大規模農業により過疎に向かう農村地域には、
小規模で稼げる農業が必要で、それには園芸品目しかないのです。

アスパラに限らず、ひとつの事業、ひとつの商品で稼ぎたいとなると、
「この作物では負けない」というものづくりを追求していく楽しさがある反面、
経営という難しく苦しいことを同時に行う必要はあります。
その両方を追うということが、継続してひとつの作物を
作り続けるということが達成されると思ってます。
一時的な成功ではなく、継続して成功し続けるため。

長くなりましたが、経営者である農家が、
自らの状況を素直に認めて、目標に向かう。
その過程にはいくらでもアドバイスできるものの、
それに必要な目標の設定や現状認識には、
本人の意志がともなうこととなります。
結局のところ、「経営者はやるかやらないかだ」と
言われるように、決意できるかどうか、だと思うのです。