2023年12月30日土曜日

秋から冬を振り返る

写真と共に、ここ2ヶ月の動きを書きますので、
少し長くなりますが、お付き合いお願いします。


カリフラワー、この時はまだ元気だったのですが、
ここまででした。
結球が始まった直後に肥大がストップ。
黒腐病を疑いましたが、どうやらそうではないようで、
苗の時期の高温が障害となっていたようです。
カリフラワーは前年の植え遅れを反省に時期はぴったりに
管理できたのですが、できないはずがない、という
思い込みで失敗しました。
2年連続での失敗は、少し自信を失くしています。


今年のカリフラワー以外の野菜は、
暑さの影響で手が回らず、ズッキーニが早期に終了して半分の収量、
ミニトマトは夜温が高くて着花せずに10月の収量が大幅減。
一方で、トウモロコシは3年ぶりの豊作、
新たに取り組んだフルーツホオズキもそこそことれました。
全体で予定の2/3程度しか取れなかったものの、
反省から来年への課題も明確になり、伸び代を見出してます。


メインのアスパラガス。
10月から一気に曇天雨天が増えた今年の天気。
高温に耐えてまずまずの姿を維持しておりましたが、
このゲリラ豪雨の連発によって、斑点病が加速しました。
それでも、昨年の秋よりはかなり良い姿で雪を迎えられます。


ハウス内も、昨年の反省から、堆肥や耕起のタイミング、
資材の変更などによって、良い姿での越冬となります。
露地は昨年の3割増、ハウスも2割増の
ポテンシャルを持って春アスパラに臨めそうです。


本年は2022年よりも2割ほど減収する見込みでスタート。
春は予定通り少ない収量で苦しみましたが、
夏の温度はアスパラには味方してくれたようで、
ほぼ前年同様の収穫量となりました。
それでも燃料費・肥料費は高騰しており、
ご協力いただいた値上げで横ばいの収支を維持できました。

露地もハウスも、美味しく、かつ量も増やす、
という経営基盤をつくるのに奔走してきた16年でした。
16年というのは、私が就農してき経った年です。
ようやく、整いつつあるような気がしています。
でも、ここが一番の山場。
過去に父の代から、何度も軌道に乗りかけては落ちているタイミングは、
うまくいきそうな時。
気を抜かず、手も抜かず、より真剣に取り組みます。


こちら、新商品のドライアスパラ。
コアなファン、お取引様のお言葉により商品化。
秋に始めたのですが、あっという間に売り切れました。
味は、凝縮感たっぷり。
アスパラマニアにはたまらない味です。
見た目に不安があったものの、逆に目に止まるようです。
うちにしかできない、アスパラマニア向けの商品は、
気持ち良いスタートとなっております。


11月、わずかな晴れの天気のアスパラ畑。
その頃、ハウス内では冬の準備。
運動しつつ、農業機械も格納しているので、
今年の大雪は除雪が大変ですが、冬の良い運動です。


そして、冬の恒例行事、出張です。
11/26に視察がスタートし、途中一時帰宅したものの、
12/12までの挨拶回り。
たくさんの勉強をさせたもらい、
売り場の方に話も伺え、
お礼も伝えることができ、
圃場に来てくれたシェフやバイヤーとも交流でき、
街の雰囲気も感じ、
久しぶりの友達にも会え、
充実しまくりの旅になりました。


視察は、久松農園、那須塩原アスパラ生産組合、のらくら農場。
久松さんはもう何度目かわかりませんが、
いつでもフレンドリーに受け入れてくれますし、
いつもたくさんの視点を与えてくれます。
のらくらの萩原さんは、個人的には4回目で、仲間とは7年ぶり。
今回も萩原さんの生産技術と人柄には脱帽です。
人間なのかな、と思うくらい、次元が違いました。
また、一緒に行った仲間も良かったですね。
30代と違って、経営目標が個々に明確に変わってくる年頃。
共通の課題がないので視察も一緒に行く人を選ぶようになりますね。
そんな中でも行ける仲間がいることが幸せ。



美唄のことが少し書いてある北海道新聞の記事を、
出張前の空港ラウンジで読む。
北海道は、これから農地がどんどん空いてきます。
酪農家がまずは切り捨てられ、畑作農家も同様かもしれません。
いい時期に引退できる農業者は幸せかもしれません。
今後は辞めたくても誰も買ってくれない日が近いです。
農業、と一括りすると問題は見えにくくなります。
個別に考えるべきですし、僕は個々が国の言いなりにならず、
農協の言いなりにもならず、自分で考えた個人事業を目指すことが、
16年前と変わらず、ずーっと必要だと思っています。
そしたら、間違えても楽しいのに、と。


幼稚園時代の家族と、久しぶりに忘年会。
子供が中学校に上がると、一気に会う時間がなくなりますが、
やはり会った時にはとても楽しい一時となります。

 

年末になりましたが、今年もスタッフに、お客様に、友人に、
そして家族に支えられた1年になりました。
僕は感謝をすぐ忘れる悪い癖があります。
年末に食事した方に、内山さんはいつも仕事を最適化しようとしてますね、
と言われました。
すっと体に入ってくる言葉でした。
規模の大小でもなく、社会貢献とか義務でもなく、
最適化を目指しているんだ、と初めてはっきりわかりました。
心地よいです。


みなさま、本年もお世話になりました。
どうぞ良いお年をお迎えください。

2023年10月12日木曜日

茎枯病の対策について②

 4.露地の対策

今回、書きたいことのメインです。

いつが一番重要な防除のタイミングかと言うと、断然立茎期です。
それも、初期も初期、収穫を打ち切る時が一番大事です。

露地アスパラが春に全然出てこない、という相談のほとんどは、
前年の養分転流がうまく行かなかったからで、
その原因は病気であることがほとんどです。

主に北海道の露地アスパラの病気の中でも一番恐ろしいのが、茎枯病、
次に疫病、次に褐斑病と斑点病です。
その茎枯病のほとんどが、立茎期に罹病しています。

なぜか。

それは、最も降雨による泥はねの影響を受ける時期だからです。
露地アスパラは、春の収穫時は土がむき出しの状態です。
その状態で雨が降ると、アスパラは土壌からの泥水を被ることになります。
春なので緊密度が夏ほど高くないものの、柔らかい若茎は、
病気の菌が入りやすいため、罹病確率が高くなります。

当農園では、立茎から3週間雨が降らなかった時には、
ほぼ罹病がありませんでした。
ですから、雨がこの先2週間は降らない時に立茎すると、罹病はグッと減ります。
しかし、露地アスパラではそれはあまりに運任せ。
アスパラの残りの養分を考えて立茎を開始するので、
天気を待ち続けていると、立茎適期を逃すことになります。
アスパラの生育と天候の両方を見ながらの管理作業になりますが、
最後は天候ではなくアスパラの生育を見るべきでしょう。

一方で、立茎開始時は、土をいじったり消毒したりできるため、
最も防除しやすい時期とも言えます。
耕種的な対策としては、アスパラの畝の土を高くすることで、
倒伏防止とともに、病気への抵抗性が上がると実証データがあります。
また、表土を消石灰で消毒する、堆肥マルチで表土を覆う、
防草シートで泥水の跳ね返りを減らすなどがあります。
いずれも、土が乾いている状態で、かつ、アスパラに傷がつかない状態で
立茎することが大前提となりますが、理屈上は効果が上がるはずです。

当農園では、露地は草対策や排水対策で畝に培土をします。
培土作業で土着している菌がアスパラにつくので、
培土がかかった茎は培土も5日くらい収穫することによって
圃場の外に持ち出してます。
その後、表土をカニ殻由来の微生物資材やイオン的な殺菌剤や、化学殺菌剤を散布し、
雨が降らないことを祈りつつ、雨が降っても少しでも罹病株が減らせるように対策をします。
降雨による茎枯菌の繁殖スピードは猛烈です。
立茎期は、降雨ごとに微生物資材をまいたり土壌殺菌することが必須です。

そして2週間もすると、繁茂してくるアスパラによって表土が覆われていきます。
このあとは、アスパラも表土を邪魔するので、表土に何かをするのが難しくなります。
そして、日陰になるために、これまでよりも土が乾く状態もできにくくなります。
そうすると、病原菌が繁殖しやすい環境になってしまうので、できることが減ります。

途中で発病株があれば、断腸の思いで切って、持ち出しましょう。
この段階での発病は、アスパラにも土にも何も良いことはありません。
無駄に根の養分だけ使って、茂ってから枯れるくらいなら、この時に切って、
次の芽に養分を使ってもらう方が有効です。

無事に立茎が整ってからは、表土が乾きにくいため、なかなか殺菌しにくいです。
その上、夏芽が出てきたり、2次擬葉とともに下枝も出てくるので、
罹病する機会が多くなってしまうのです。
ですが、この先の罹病では、発病が9月になるので、
大幅減収になるほどのダメージは受けにくいのです。
露地なので、見切りや諦めも肝心だと思います。
ただ、病気の進行スピードは、高温多湿であるほど速いので、
降雨ごとに監視と殺菌は必要になります。

2017年に経験しました、8月上旬でアスパラが枯れてしまったらどうするか。
養分転流が行われないので、翌春には根に養分がほとんどないです。
ですから、春アスパラを収穫せずに、しっかりと茎枯病対策をして、
すぐに立茎しましょう。その翌年のために。
1年無駄にすると思うかもしれませんが、無理して収穫するとその先10年を無駄にします。
春一番で立茎することは、北海道では地温が上がっていないので
菌も活性化しておらず、罹病リスクが低いです。
きちんと立茎して、来年に備えましょう。

経験では、4年間消石灰散布を行いましたが、期待するような殺菌効果はなさそうです。
菌をどうやって抑えるかを考えると、表土をどうするか、が大事です。
農薬のみに頼っても限界ありますので、
その土壌にあった菌や微生物の資材も探す必要があるかもしれません。
また、9月になって気温が下がると、他の病気も併発します。
肥料切れは体力が落ちる原因にもなりますので、旺盛に育てたアスパラは、
きちんと栄養も補給してあげてください。
大きな収量を狙わないなら、少ない栄養で春を迎えることも、
実は良い栽培だと思います。味も面白いです。
アスパラ農家としての収量みたいなものを漠然とした基準として書いてきましたが、
少量肥料栽培についても、ある程度認知があるので、それはおいおい書きます。

また、対策は、毎年毎年やります。
1年でもサボると、あっという間に経営危機になると思って対策してください。
九州であっという間に露地アスパラがなくなった30年前を考えればわかるはずです。

うまく行くと、9月でもう来年が楽しみになりますし、
うまくいかないと、8月で来年の減収減益が決まってしまって悲しい。
それが露地アスパラだと思います。



5.今後の展望、良いこと、悪いこと


わかっているっぽいことを書いてきましたが、
まだまだわからないことが多い茎枯病です。
露地アスパラにこだわらなければ、もっと気楽に作れるかもしれません。
それでも、トライ&エラーを繰り返して、失敗しながらも上手く行くことができたら、
ある程度の達成感と、一時の安心は得られます。
これで路頭に迷わなくて済むかな、と。
露地アスパラが30年前みたいに上手く作れるなら、
もっと色々な作り方をしたいし、味や形も楽しんで作っていけます。
そうしたら、もっと食べる人が楽しめるアスパラに取り組めると思ってます。
そうなれたらいいな、とずっと思ってます。

でも、ずっと不安は消えません。

ある地域で何かの障害への対策が整って、これでイケル、となっても
大体5年くらいですね。10年以内には別の障害が発生しています。

病原菌自体が抵抗性を持ったり、もっと恐ろしい病気がはやったり、
可能性は無限にあります。
農業は人間が自然をコントロールした気になっているのですが、
同じものばかりが生えているという超不自然を作っているので、
どんな障害が出てきてもおかしくないと覚悟はしてます。
経営的な不安も、ずっと抱えてます。
大きな組織ではないものの、たくさんの人に関わっていただいてます。
その人たちの役に立ち続けることができるように、仕事してます。

2017年の大きな経営危機をとりあえず乗り越えた今、
同じように露地アスパラのことで経営に困っている人の役に
少しでも立てたら幸いです。

2023年10月6日金曜日

茎枯病の対策について①

2017年7月に、定植して3年目の3haのアスパラ畑全てが茎枯病にかかるという、
絶望的な状況から7年。
できる様々な対策を行なってきたので、実施したことと、結果を公表します。

目次
1.茎枯病とは
2.罹病と発病
3.ハウスの対策
4.露地の対策
5.今後の展望、良いこと、悪いこと


1.茎枯病とは

そもそも茎枯病とは、ということは割愛します。

生産者がほとんどだと思うし、生産者しか興味ないと思うので。
あの茎から枯れていく絶望的な姿を、かなり多くの人が目にしていると思います。
斑点病や灰カビ病のように、繁茂している擬葉からの病気なら、
対策は蒸れないようにすることを考えれば良いので、
それほど難しくないですよね。

茎枯病で枯れることで、株が腐ってしまいますし、
せっかく繁茂して翌年の養分になるべき親木の栄養分が根に戻ることができず、
春アスパラの収穫が激減します。

全国的には、茎枯病対策は「ハウス栽培にする」ということで、
ほぼ完了していると言ってもいいですね。
主要産地は「ハウス栽培」になることで病気が減っています。

北海道では、いまだに露地アスパラの産地が多いです。
それは、耕地面積がたくさんあることと、
ハウスを作るメリットが本州に比べて少ないことがあります。

うちやま農園では、美味しい最高のアスパラは露路でできる、
ということに確信があるので、露路アスパラをつくり続けています。

だから、茎枯病とどう付き合うかは、うちやま農園が
生き残れるかどうかと直結していると覚悟してます。


2.罹病と発病

罹病する(病気にかかる)タイミングは、ズバリ、地際から若茎が伸びている時と、
鱗片から若枝が出る時、です。

若枝が出るタイミングはほぼ毎日と言っていいですし、
致命的なダメージを与えるタイミングでの罹病は若茎なので、
若茎に対する対策がメインと言えます。

ご存知かもしれませんが、一般的に茎枯病の罹病から発病までの期間は、
1ヶ月と言われています。

若茎に罹病し、擬葉展開し始めた頃に発病する。
発病時は茎に病斑がみえるのですが、遠くから眺めていても発見できず、
畑の中を歩いて収穫するくらい近くにいないと見えません。
だから、大体発見するのが、発病から2週間か1ヶ月くらいたって、
親木自体が枯れてくる時なのです。

知らない人は、発病した時に騒ぎ始めるので、
実はその1ヶ月か2ヶ月前にはすでに罹病している状況です。

どうやって罹病するか。
茎枯れの菌は、実は飛散してますし、ほとんどは土に居着いています。
それが主に雨で増殖・活性化して、アスパラにつきます。
若茎は柔らかいので、表皮から菌の侵入を許しやすいのです。

先述の通り、病斑はすぐに現れないため、何ら問題ない成長に見えますが。
罹病から発病までの期間は、実は春の罹病と夏の罹病では発病までの時間が違い、
夏の茎枯菌が活性化している時には、数日で発病します。
若枝は夏に旺盛に出ますから、土着菌が多い時には、諦めるしかない場合もあります。
若茎であれば、夏に若茎アスパラを収穫することが、防除も兼ねるのです。

発病と罹病の関係をよくわかっていないと、
そもそも茎枯病の対策なんてできないことはお分かりいただけたでしょうか。

皆様が気付いているのは、どの段階なのか。
罹病後にいくら殺菌剤をかけても無駄です。
はっきり言えます。無駄です。
進行が早いのと、病気の根が深いので、改善することはあり得ません。
少し、進行が遅くなることは、期待できなくもないですが、
対策とは、ほぼ予防なのです。

この先は予防の話になりますので、発病後のことは、ここで少し触れます。

基本的には、発病株は抜いて圃場外に持ち出します。
病原菌の繁殖も早いですし、土着して3年くらい越冬もできますので、
発病株は持ち出しましょう。
そして、発病した株の付近は、地面と茎の残渣を焼却します。
そこまでしても菌は無くなりませんが、少なく維持することはできます。
発病後も栽培を継続したいなら、治すことは諦めて、
茎枯菌を増やさないことを考えましょう。



3.ハウスの対策

では、具体的に、事例を紹介します。

ハウス内で気をつけることは2つ。
潅水による泥の跳ね上がりを抑えることと、
発病株の持ち出し、です。

潅水に関しては、水圧を変更することで調節できます。
病気対策で点滴チューブを利用する方もいるかもしれませんが、
水分量が見た目でわかりにくいことと、
水は縦浸透しかしないことが招く結果を考えると、
できればスミチューブなどでの潅水が良いですね。

病気にかかってしまった株は、全て持ち出しましょう。
そして、防除は株元までかかる防除機で、
土も殺菌できると効果的です。
泥の跳ね上がりはある程度防げても、
表土に菌が生きていると罹病してしまいます。

これだけ?
そうです。

そもそも茎枯病の多くの原因は降雨による泥の跳ね上がりです。
それを防ぐハウス被覆は、それだけで茎枯病の対策がほぼできています。

それでも何らかの要因で菌が入り込んで、
罹病してしまっている時には、上記の対策が有効と思われます。
菌の活動を抑えつつ、生育を旺盛に保つことを3年くらい手間かけてあげれば、
ほぼ発病しなくなります。

当農園では、定植初年度に発病が見られた時、
もしくは途中で発病が見られた時に、上記対策を取ります。
そうすると、茎枯病を発病する株は、90%くらい減できるので、
3年くらいやるとほぼゼロになります。

その際に、堆肥やカニ殻を散布してキチンやキトサンを効かせることで、
さらにその効果が大きいと言われています。
うちもたまに与えます。


ここまででずいぶん長くなりました。
一旦終了して、次回、露地の対策から書きます。

2023年9月29日金曜日

ここ数年

ブログの投稿がかなり滞っておりますが、

FACEBOOKに投稿しているためです。

インスタグラムやX(Twitter)は、実名登録ではなく、

誰かわからないので、投稿を控えております。


理由としては、不特定多数の方へのメッセージの難しさを痛感しております。

そして、知っている人にだけ発信する容易さに、流されております。

もしFACEBOOKに登録している方がいらっしゃれば、

友人限定で発信しておりますので、リクエストをしてくれたらありがたいです。

その際、メッセージも添えていただけると助かります。


情けない話ですが、コメントによって私も結構傷ついております。

気にしないようにしても、気になり続けます。

相手が誰かわかっていれば、この人ならこういう解釈するんだ、と

問題なく流せるのですが、相手が見えないとこちら側で咀嚼するしかありません。

それは、精神的な負担がかなり大きく、難しいです。


私は、万人受けする人柄ではありません。

それでも、私を好んでくれたり、面白がってくれたりする少数派の方々に支えられて、

仕事も生活も成り立っていると思っています。


どうしても伝えたいこと、論理的に発信したいことがあれば、

こちらのブログを利用します。

ただ、1ヶ月に1回くらいになってしまっている現状への言い訳を書きたくて、

この周りくどい投稿となりました。

引き続き、よろしくお願いします。

2023年7月12日水曜日

一番大事な時期

7月上旬は、露地アスパラにとって、最も大事な時期です。
うちやま農園に限っては、特に。

アスパラで最も怖いのは、病気です。
次に台風。

病気の中でも、一番怖いのが茎枯病。
次が疫病、褐斑病、斑点病などなど。
その茎枯病や疫病が最も付きやすい時期が、立茎開始直後です。
まだ茎が柔らかいこの時期に、豪雨にさらされると、
うちやま農園ではほぼ全ての畑で病気にかかってしまいます。
雨さえ降らなければ、なんですが、
大事な期間は3週間ほどあるので、その期間に降らないのは奇跡に近い。

対策は諸々あります。
当然、できることはやります。
それでも、ゲリラ豪雨で泥水が跳ねるような天気になったら、
来春の収穫量大幅減少を覚悟します。
自然の猛威の前では、我々の作業など無力に近いです。

ですから、この時期は対策を行いつつ、
ゲリラ豪雨に当たらないことを祈るのみなのです。

6/30に一度当たっていますが、僅かな被害ですみました。
その後乾きまくっていましたが、7/11からの豪雨予報。
今の所、農園の周辺ではゲリラ豪雨はありません。
運がいい。
でも冬に局地的に大雪もらったりしてるから、
トータルではどこも変わらない損害を受けていると思われます。

この時期に、丈夫にアスパラが立ち上がれば、その後は、
台風が来ないか、雹が降らないか、洪水にならないか、と、
ずーっと心配は絶えません。
今が良くても、台風でアスパラが倒れてしまったら、
来年の収穫は減少どころか、ゼロの可能性もあります。

北海道は約半年しか作物を作れません。
折り返し地点にきましたが、気を抜かず畑を歩きたいと思います。

2023年7月6日木曜日

畑の変化をダイジェストで

5月中旬、平年並みの時期に露路アスパラがスタートしました。
他産地が早かったし、美唄市内でもうちより10日も早いところがありましたが、
泥炭地は地温が上がりにくいので、大雪の影響もあり、
ゆっくりと萌芽してきました。
6月初旬にはギフトもほぼ送り終え、
草との戦いを迎えるのですが、そこは省きます。


露地のピーク前に、ホワイトアスパラもピークを迎えておりました。
収穫量は昨年の3割増しで、今年も人気のうちに終えられました。


今年から始める加工品の準備もしています。


アスパラを30日くらいとった頃、来春に向けての準備を始めます。
収穫をいつ打ち切っても良いように、培土してイボ竹を立てて、
アスパラが倒れないようにします。

その頃、ハウス内ではもう立茎が整っており、
来春、夏アスパラに向けての準備万端です。


7月に入って、8年前に仕事に来てくれた山内くんが
新婚の奥様を連れて立ち寄ってくれました。
ゆとりくんというアダ名も持っていますが、
自分のペースを崩さない生き方は、尊敬してます。


色々な野菜の色々な作業があれこれ重なってくるので、
いつもホワイトボードに書き出します。
終わったら消してまた新しいものへ。
天候にも助けられ、少し遅れながらも進んでいます。
今年は、予定していたスタッフが数名来れなくなったので、
作業が進まずにヤキモキしました。
でもスタッフにはそれは伝わっていなかったようで、
イライラやヤキモキを伝わらなくて良かった思ってます。
急いだって、できることは限られているので、
その時の全力が尽くせれば良いと思ってます。
無理しても、長期的には何も良いことは生まれません。


そして、今朝の畑です。
露地の立茎も良い立ち姿になってきました。
本日、午後から暴風が吹き荒れる天気予報なので
気が気じゃありません。
対策はしてあっても、不安ばかりが頭をよぎります。

夏は、アスパラも野菜も、たくさん収穫物が出てきます。
引き続き楽しく仕事して、美味しい野菜を届けられたら、嬉しいです。

毎年のことですが・・・

露地アスパラの収穫が始まってから1ヶ月ほど、
ブログの更新も滞ってますが、色々なことが一瞬の出来事のようです。

一番美味しい露地アスパラの、初めの2週間が、味が濃くて
本当に大好きな味なのです。
そのアスパラを直接お客様に元に届けたくて始めた直送。
今年もなんとか送ることができましたが、その仕事に集中するため、
プライベートなことにはほぼ頭が回りません。

あんなに楽しみにしていた村上春樹氏の新刊「街とその不確かな壁」も
4月下旬から8ページしか進まないという現実。
老化って、こういうことだ。

スタッフのおかげです。あと家族も。
年々体力は落ちるものの、仕事のやり方が上手になっていきます。
そういう人たちに来てもらっていることを、改めて感謝。

先日、古い友人が偶然家の前を通り、立ち話。
テツのサッカーの情報がないじゃないか、とw
少しだけ、書きますね。
4月から新チームとして活動開始。
HKDというチームは、クラブチームでサッカーしたい、
サッカーに意欲的な子供、明るい子供ばかり。
上位リーグにいてガツガツした子供達とは違い、いい意味でリラックスしてます。
そこで楽しそうにサッカーを続けるテツ。
トレセンという選抜された子供の練習会にも参加し、
u13年代の札幌選抜にも選ばれています。
大好きなサッカーのために、勉強も頑張っており、
周りの賢さに圧倒されつつも、喰らい付いてます。
いい根性だなあw
背は145cmくらいまで伸び、まだ伸びそうな気配。
今はサッカーの練習よりも、背を伸ばすための食事と睡眠、
そしてきちんと体を使えるようになるトレーニングが大事だ、
と諭しても、すぐにサッカーしたがる子供なんですよね。

2023年4月23日日曜日

直売と体験農園について

約3年、長らく休止していた直売と収穫体験。

お電話いただいたり、直接来園されて、アスパラ買えますか?と
聞かれる度に、申し訳なくお断りしておりました。

今年から、少しづつ再開しようと考えております。

美唄でうちのアスパラを買えない、
食べているけど畑も見てみたいし、畑で食べてみたい、と言う、
地元の方や、アスパラを買っていただいているお客様への
サービスのために始めます。

方法は、直売も収穫体験も、事前に登録していただいたSNSにて
情報発信することで、数日前のお知らせに対応できる方を
対象に試運転を始めてみます。

うまくいくかはわかりませんが、
最優先は健全なアスパラの生育です。
ご理解いただけいると助かります。
目指すのは、農家側も、収穫する側も、
お互いに気持ちの良い収穫体験です。


なお、これまで休んでいた理由は下記の通りです。
長文ですみませんが、アスパラとお客様を、
ひいてはスタッフや家族のためにやめていましたので、
ご一読いただけると助かります。


お電話で受け付けないのは、申し訳ないのですが、間違いが発生したり、
言った言わないのトラブルが一件でも発生すると精神的に辛いからです。
お互いのためにならない。

なぜ直接来園した人に売らないかと言うと、
3月からたくさんnのお客様にご予約いただいているのに、
急に来園した人や、アポイントもない方へ優遇する理由が何もないからです。
そもそも、小売をしていないのに、売ってもらって当たり前、
みたいな来客が多すぎるんですよね。

収穫体験についても、同様です。
そもそも、畑に入って収穫すると言うこと自体、
実は農家のお手伝いにはひとつもなっておりません。
それどころか、(もちろん過失ですが)傷をつけてしまったり、
菌の持ち込みなど、リスクの方が結構多いのです。
お客様に悪気はないですし、楽しみたい気持ちがあるのも承知しております。

さらに、天気によっては全く収穫もできる状況でもないのに、
そして人も全然足りない時に、
ご予約いただいた手前、断れないことも多々ありました。
せっかく体験に来てもらっているのに、
少ないアスパラが取られちゃう、と言うこちらの気持ちは、
何らかの形で伝わってしまいます。
また収穫してもらうことで、入園料をいただいたとしても、
それに合わせて作業したり、後始末をすることが、
待っているお客様のためにも、アスパラ自体にとっても、
合理性のないことだと判断していました。


無理なく続けられる、みんなのためになって、
みんなが良いと思える仕組みができたらいいなと思ってます。

2023年4月11日火曜日

議会議員、首長、国の奉仕者・・・

昨年末から真剣に考えている、美唄をよくするために、

議員や市長になって美唄を改善するということ。


結論としては、立候補しません。

期待していただいた方々、申し訳ありません。

検討を公言することで、本当になるとはどういうことか、

考えることができました。


私がどういう人生を歩みたいか。

そこに、国や自治体の奉仕者として、枠の中で働くことは当てはまりませんでした。

一般企業で働き、変化を楽しみながら自主的に学びました。

後継者として農業をはじめ、理不尽な環境で我慢を強いられながら自力を蓄え、

経営移譲を受けてからは「他に例がない」ことに挑戦し続けています。


自分を縛るということが、自分にどういう影響を与えるのか。

他にもやりたいことがあるんじゃないか。

自分をスポイルしてきた連中に一泡吹かせたいという欲はないか。

その行為は、身近な人を幸せに、楽しくできるのか。

美唄をよくするための行動は議員・市長だけなのか。


色々な論点があると思いますが、私は違う行為を選択します。

(私の検討だけで騒いだみなさん、勝手に騒いだだけなので知りませんよ。)

今年47歳。

楽しいことはたくさん見つけられますし、挑戦したいことも湧いてきます。

今回のことを直接会って話せた親しい方々は、全員反対してくれました。

反対されるから、もっと真剣に考えられました。

ありがとうございます。


さて、アスパラとりに行こう。

誰のためか

11月に書きましたが、気持ちの整理がようやく着いたので、公開します。

それくらい、僕も狭い視野で思い入れていたんだと思います。

サッカーのために、という視点で頑張って勉強して、

4月から札幌光星中学校に通って、チームはHKDfootbollclubです。


息子(テツとかウッチーとか呼ばれてます)の挑戦、

一旦休止です。


私が息子のサッカーに熱を入れ始めたのが、息子が小学校2年生の時。

隣町の奈井江サッカースポーツ少年団に入り、

2年生の頃から少し目立つようになり、5年生の試合にも混ざるように。

サッカースクールも4歳から通っていましたが、

もっと上手くなれるんじゃないかと、頻度を増やしたり、

試合を録画して一緒に見たり。

時に怒ったり、よくないこともしていましたね。


小学3年生の時、夏休みにスペインのサッカーチーム「バルセロナ」の

育成組織が日本で短期キャンプを開催し、北海道は長沼が会場となっていたので、

友人たちと共に参加。そこで、サッカーの楽しみ、

サッカーでの向上心が芽生えたと思います。

コンサドーレ札幌に入りたいといいだし、自分で通うならいいよと、

選抜試験を受けたところ、運よく合格。

4年生から移籍します。


ところが、札幌中の上手い子が集まるチーム。

これまでと違うサッカーに慣れないどころか、全然活躍できない。

4年生から20人を超えるチームメイトをAとBにクラス分け。

Bクラスでの練習や試合参加が長く続く、苦しくもどかしい時間が続きます。


5年生の夏には、試合にも呼んでもらえない、プレーもうまくいかない、

そんな状況で自信もなくしている息子に、チームを辞めるように進言。

でも息子はもう少しここで頑張ると決断。

そして、Aクラスに入ったのが5年の冬くらいか。

関東に遠征して、横浜マリノスやレジスタといった強豪にコテンパンにされる

素晴らしい経験を経て、6年生はAチームに入ります。


Jリーグの下部組織なので、中学のU15クラスに昇格できるかどうかが、

試合で勝つよりも大事なこととされるチームです。

息子は小さい体ながら、頭を使うサッカーでチームに貢献するも、

体力面を考慮して昇格できませんでした。

息子なりに全力を尽くしてサッカーに取り組みましたが、一歩及ばず。


プロの目で育成してもらってきて、昇格できないということは、

サッカーで飯を食うのを諦めた方がいいですよ、という優しい助言だと思ってます。

うちでは文武両道が教育方針なので、サッカーは真剣にやる遊びで、

学校教育が放棄した体育的理不尽経験を獲得する場や、

協調性、一人では物事が進まない事実の把握訓練などだと思ってます。

夢を諦めないことが良いこととされたり、逃げないことを大切にする風潮がありますが、

私は、諦めるポイントを経験することや、逃げるという選択をするという経験こそ、

社会人になってから生きてくると思ってます。

経験や選択が間違っていても、学生、または若いうちは、糧にできます。

理想と現実、自分への評価、逃げ出すべき状況などなど、

受け入れて進む人生において、大事なことばかりです。


ところが、まだまだサッカーが大好きの息子。

中学校に行っても続けたいということで、チーム探し。

自分一人でどうこうするよりも、みんなで一丸となって走って蹴って、

勝利を目指すサッカーをしたいそうで、

協調性が育まれてよかったと思ってます。

でも、息子を逞しくしてくれたチームには感謝しつつも、

結局選手を育てられず、外部から上手な子を集めてくるだけという、

評判通りのコンサドーレには、もう関わりたくない心境です。

コーチの不勉強や派閥争いで、コーチが育成について何も学ばない。

コーチが選手を育てられないから、チーム外の優秀な選手を最優先で採用する。

今後改善してほしいことがたくさんありますね。

息子に限らず、チームメイトがつまらなそうにサッカーをする姿を、

心苦しく見たことが何度もあります。


北海道の、札幌の、サッカー教育レベルは低い、と聞きます。

子供のためではなく、チームの面子やクラブの維持、コーチの収入などのために、

チームが存在しているという状況が少なくありません。

サラリーマンコーチも同様です。

優先順位は、子供よりも上司なので。

いわゆる闇の部分がよく見えたのですが、

客観視して傍観者であることで、色々流そうと思ってます。


競争じゃなくて、自分の理想と現実にしっかりと向き合える、

中学校でのサッカー生活を送ってほしいなと思っております。

2023年4月1日土曜日

2022年度3月

3/17、息子の卒業式がありました。
ついに、小学校から巣立ちました。
1-2年生では茶市内小学校で3人のクラス、
3年生からは合併した美唄中央小学校で60人2クラス、
たくさんの友達と過ごしました。
サッカーは札幌の友人たちと、学校では学校の友達と、
色々なチャレンジと経験ができたと思いますし、
羨ましいほどに楽しそうに暮らしていました。
中学生になったら、学校の友達もサッカーの友達も、
ほぼ一新されます。
どんな生活になるのか。
サポートしつつ、関わりすぎないように見守ります。
勉強とサッカーの両立を頑張れ。


露地のアスパラ畑は、まだまだ雪があります。
札幌に限らず北海道も日本も高温傾向の春ですが、
今年も多雪だったために、ゆっくりと春がやってきます。

掘ってみたところ、浅いところで20cm、
深いところは40cmありました。
なくなるまで、あと10日くらいかかりそうです。


ハウスは、意図的に雪を投げ入れて遅らせているのもあります。
あまり早く一気に溶けると、作業が間に合わないためです。

そして、早いハウスでは、萌芽がみられます。
初めは白やピンクで可愛い感じですが、
10日後くらいからは緑の収穫ラッシュとなります。
否応なく、気持ちが盛り上がります。
去年の出来があまり良くなかったので、少し減収になると予想していますが、
太いアスパラガたくさん、一斉に出てくるのを見ると、
テンション上がります。
肉体疲労も少ない今は、ただただ盛り上がりますw


卒業式が終わり、入学までただただ遊び人の息子。
暖かいせいで、こちらもテンション高めです。


最後は、4年ぶりに来たお取引先のレストラン。
家族で卒業祝いや合格祝いなどをまとめて。
娘は2回目の訪問で、今回も大満足。
好き嫌いの多い息子は初のフレンチでしたが、
シェフの腕のおかげでほぼ完食することができました。
どの料理も秀逸でしたが、デザートが口の中で
絶妙なバランスを感じさせてくれて、幸せでした。


いよいよ4月スタート。
半年間にわたるアスパラとの仕事。
人に助けられながら、人の役に立てるように。

2023年3月13日月曜日

議員に立候補するかのモヤモヤ

本日投稿しますが、以下、グチャグチャな文章です。

すみません。

46歳としては恥ずかしいですが、そのまま載せます。


立候補を考え始めて、2ヶ月。

市議になってどうしたいの?という話題について。

僕は、美唄を変えたいというか、良い方向に持っていきたい。

良い方向とは、現在の良くない事を気づいてもらって、改善したいって事です。

以上、3/1



美唄の人口分布で行くと、高齢者が圧倒的に多いので、

僕が大事にしたい子育て世代にお金をたくさん使うことは、結構難しいと思う。

問題なのは、使い方。

そしてそれを話し合っている(はず)議会の、昔ながらの遅さ。

価値観は変わらないのか。結局同じ危機感なんて持てない。

これは痛いし、すぐに改善したいんですけれども、一筋縄ではいかないでしょうね。

それに、議員が本業もった人だらけだし、しかも支持層が利権の恩恵を受けようとしている状態では、いやはや。

以上、3/5



議員なんて、大した仕事じゃない。美唄は特に、大したことしてないと思ってます。だから、市外から来てくれた奥様方がもっと行政に関わって欲しいと思います。特に、育児終えた奥様方が、議員になってほしい。


地方議員なら務まると思っている。でも北海道とか日本とか大きな単位になると、無理です。

以上、3/10


うまく整理できないから、また書く。

楽しいか楽しくないか。

美唄の行政に関わらないということが、美唄にたいして何もしなかったということになるのではないか。この切迫感から、諦めることができずにいます。

美唄を見捨てるのか?

できることがあるにの、何もしないのか?

一方で、行政に関わる以外で、私にしかできないことは、たくさんあります。

この辺で、少し気が楽になります。

うちの親父は古いから、行政に対する考え方が、全然違います。

ほぼ正反対。

意見聞いてると、本当に吐きそうになります。

そして相変わらず、自分以外の意見は全否定。

自分がどこまでも正しいと思っている、団塊世代の悪しき思考、そのものです。

いや、団塊の世代を悪く言ってはいけない。

まとめるのは失礼だ。


公職に就くということでは、私は全く向いてないでしょう。

そして、精神的な苦痛がかなり伴うのはわかっています。

それでも、と思っていましたが、それはかなり自殺行為でしょうね。

でもでも、選挙にならないような事態にはしたくないのです。


農協の理事についても、モヤモヤと書いておきたい。

改革が必要な組織なのに、何も変わらないどころか、後退します。

まず、組合長になるのは、おそらく野焼きである処分を受けた方。

そして新しい理事には相変わらず「農協出荷ほぼ100%」を条件としている。

さらに、女性理事には絶対否定。アドバイザーの立場から、なんてどの顔で言えるのか。

私が見る限り、理事やれる女性は5人はいますけどね。

男子の面子を立てたい人は、キシリア少将にビンタされれば良いと思います。


とまあ、相変わらず蚊帳の外に置かれておりますが、

美唄から全国へ。

思考はいつも内にも外にも向けてます。

2023年2月16日木曜日

出張〜関西

2022年11月に行った出張の報告、忘れておりました。
本日からハウスの除雪作業を開始しており、
忙しくなる前にきちんと振り返らねば。

一言で言えます。
明るい。
雰囲気が良いんです、どこに行っても。

小売店さんでは、芦屋近辺が多いのですが、
阪神本店も綺麗で活気ありました。
バイヤーさんに挨拶して周り、
大好きな社長さんとじっくりお話しし、
懇親会で裏話がたくさん聞けたり。

来年の販売計画や作付け計画にとても大事な情報もいただきました。

出張も最後の方は疲労がたっぷり溜まっています。
本屋に立ち寄ると読書したくなる本が。
数年前に出ていましたが、今の価値観に通じるかな、と勉強。
子供達のことを思い出しながら。


大阪の街中は、万博の準備で開発ラッシュ。
以前いた積水ハウスの梅田スカイタワーも久しぶりに見ました。
映画もみて、結構時間を仕事以外に使いました。
でも、会う人会う人が深すぎて、
社会に対して何をしていくべきなのか、考えさせられました。


最後には、親友のいる函館によって帰りました。
そこは、大学に戻ったかのような下品でバカな話がたくさん。


関西への出張は2年後の予定。
次は妻とゆっくり回ろうかな。
子供が大きくなると、色々と過ごし方が変わりますね。

2023年1月22日日曜日

流れ、てありますね

今年は47歳になる年です。


基盤整備事業はうちの地域で始まって、

アスパラ畑がリセットされ始めたのが、2015年あたりで、

それ以降は、経営基盤の再構築に追われる毎日、毎年。


子供は大きくなって、今年からふたりとも中学生になります。

サッカーの送迎に明け暮れた毎日から解放されます。

楽しくて夢中になりましたが、中学校からは好きなことを

見つけてやってほしい。それがサッカーであっても違くても。


自分が第一優先にしてきたことが、一気に片付いた昨年末。

これまではやりたいことが湧いてこなくておかしいな、と思っていながら、

色々な本を読み、色々な人に会ってきました。

そのお陰か、フッとやりたいことが浮かびました。

街を何とかしたい。


このまま15年後に1万人を切って、インフラ整備もできず、

大事な子供の教育を優先せず、自分の支持団体に忖度した行政を続けたり、

街の人よりも街の外の人にお金を出したり、外の人からの意見ばかりを聞いたり、

住民の居住満足度を向上させようとせずに、情報強者ばかりを優遇するような街に、

このままどんどん進んでいくのは嫌。

行政マンのことを悪口言うのを良く聞きますが、

行政マンに力を発揮させていない管理職や市長、市議の責任、

そして街を作るのは住民なので、住民の意識も大きく関わっていると思います。


生まれ育った街に対する気持ちは、その人にしかわからないと思います。

妻には理解してもらえませんが、当然だと思ってます。

積極的に自分から何かを変えようと動いている経営者の面々に会ったことも、

その背景にあると思うし、

できないことがストレスになるからと街の情報をなるべく頭に入れないようにしてきたことも、

実は自分にはストレスになっていたんだと思います。


美唄の今の姿は、10年後の札幌だと思うし、20年後の東京や日本だと思う。

先に人口減少によって衰退を始めたから、今なら最先端の街になれます。

存続できれば。

市長として、街をリードする。

支持団体も持たず、街のこと、住民のことだけを考えて政治を行う。


だけれども、これまで僕が15年ほどこの街で得た信頼は、ほぼありません。

農協のやり方に反対して自分で作物を売り、

JCの間違った正義についていけずにすぐに辞めたり、

行政のイベントごとも市民のことを考えていないことは全て断ってきました。

そんな人間が信頼されない街なのはわかっていましたが、

自分の主張を曲げてまでやることではないと思ってます。


どうやって信頼を得て、市長として街をリードするか。

具体的な話はまだ先です。

まずは信頼を得てから。

そのために何をするか。

市議会議員が近道なのかな?

と真剣に考え始めてます。


でも、家業を疎かにすることはしたくないのです。

信じてついてきてくれている家族、スタッフがいるし、

僕が在るのは、うちやま農園とアスパラがあるからです。

家業優先。それだけは譲れません。

市長になるということは、家業よりも行政を優先することです。

それは間違いない。

どうやって街を良くすることに加わることができるか。

それを真剣に考え始めたのが、年末です。


これから、尊敬する何人かの人にお願いして、

話を聞かせてもらいます。

実務両立や理想の行政をどこまで現実に近づけるか。

それが見えたら、スタートするし、

見出せなかったら、別の方向から街を良くする方向に尽力したいと思います。

2023年1月9日月曜日

年末年始

寒中お見舞い申し上げます。

年末から慌ただしく過ごしております。
年末12/25から、息子のサッカー全国大会で鹿児島へ。
結果は満足からは程遠いものでしたが、それも人生。
満足したらつまらなくなるだけ。
次の人生のための今なので、良い仲間とサッカーできた幸せを糧に、
中学生になっても大好きなサッカーを楽しんでほしい。
左から、ライヤ、あっちゃん、マルちゃん、アラハヤ、タイガ、だいちゃん。
真ん中のメガネが哲快です。
色々あったけど、このチームでサッカーできて良かった。
チームとして、こんなにレベルの高いサッカーはもうないかもしれない。
そう思うほど、コーチと仲間に恵まれました。
技術そこそこ、戦術で勝負できる選手になったし、
サッカーがどういうもので、どういうサッカーが好きで、
どうやってチームに貢献するかをよく理解できたと思います。
その上でフォワードができたのは、本当に頑張ったと思います。


応援が終わって、我々は鹿児島水族館へ。
対戦相手が来ていたり、どこのチームも観光あるよね。


12/29に帰宅。

何もできずに年末年始をだらっと過ごしたかったのですが、
息子はなんと中学受験生。
1/7、9、10に試験。
サッカーと勉強の両立という内山家のルールに、
それぞれ全力で頑張っております。


休んだのは元日のみ。
いとこの野球少年とサッカーのユニフォームで双子コーデ。
似てるw


一つのことに集中すると、なかなか他のことに頭が回りません。
息子のサッカー全国大会と中学受験が終わるまでは、
中途半端にしか物事に向かえないため、1/12から始動です。
もうかれこれ2週間以上、止まったまんまですw


今年は、子供が中学生になることで育児の時間が大幅減少。
そして8年前から始まった基盤整備に対応する
圃場の改革が昨年で一段落したことから、
新しいことをやろうと、昨年末から考え始めました。
行政に関わろうと思っていますが、それも考え始め。
田舎の古い、慣例に固執した考えにウンザリしながら、
聞くべき人に聞いて、決断していきたいと思います。