2015年3月17日火曜日

農作物の価格決定について

今日は字だらけです。

農協改革に関連した記事を良く見るようになりました。
気になるのが価格決定の話。
農協というより市場機能のことを理解しているだろうか。
よく誤解されますが、私は農協を不要だと思ってません。
改革が必要だと思っていますが、農協自体がなくなることには大反対です。

農家が価格を決定する。
私の見解では、この夢みたいな話で農家が小売を始めたことが、
夢を見た商売を推し進め、夢に見たのと違う現実に近づけたのだろう。

そもそも、販売ルートを農協や市場から外したとしても、
農協や市場の影響を全く受けずに決定などできないのだ。
それはなぜか。
大量のものを動かすには、小売店の意思が反映されるし、
小売店ということは多かれ少なかれ消費者の意思が反映される。
その意思というのは店頭価格やチラシ価格にてだいたい公になっている。
ということは、流通業者が中間で得ているマージンを農家が手間を掛けて得るか、
そのマージンを省いて安く提供するかという、概ねこの二通りとなる。

量が少ないならば、それを限られた人に限られた方法で、
大量流通品と差別化した形で付加価値をつけて商売することはできる。
ところが大量の場合は、そうは行かないのだ。

農協にお米を出さずに商系に直接出せば2割高く売れる。
例に出して悪いが、これも良く聞いた話だ。
農協が販売に掛ける手間を農家が負担することでマージンを得ていただけ。
基準となる価格は農家のもとでは決定されておらず、
小売店や市場において決定した価格を基準として農家が決めている、だけ。
それに気づいて営業をするのか、それに気づけないのか。
次の戦略を打つ土台が変われば、農業経営も変わるはずだ。

農家が価格をつけられるという幻覚が、
正しい現状認識からあるべき姿を模索して、
より一層の経営努力を積んでいく。
これに尽きるわけで、そこに農協の体制は農家には関係ないはず。


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農家のもやもや、その2のような話です。

先日、地域組織の総会での話。

美唄は水道料金が3割も上がるし、私立病院の不要論が根強いのに、
赤字を抱える原因になっているのに建て替えようとしているし、
減っていく住民にたいして何の策もないどころか、
隣町の岩見沢市に好んで住んで住宅手当をもらっている職員もいるという、
福利厚生に公正さもなければ、美唄のことを考えていると思えない政策、
そして個人主義の状態が続きまくっています。

でも住民(特に農家)は、人口を増やすことや維持することに
お金を使うことよりも、今いる住民にもっと還元してほしいとか言う始末。
ずーっと恵まれた環境にいると、麻痺して、その環境が
恵まれていることにすら気づかない。
まさにそれだ。

行政は地域の利益の再分配を行う。
税収や国のお金をどこにどうやって使うかを、
街の将来ビジョンをもとに決めていくのだ。

限られたお金しかない行政のお金の使い道を、
農業の基盤整備で、1haあたり80万円を支出して、
合計で数百億円のお金を使うことを、
市民は本当に納得できるのだろうか。
基盤整備をしても単位面積当たりの収穫量が
さほどかわらないことをわかっていたら、反対運動が起こるんじゃないか。
これを恵まれていないという農家は、何なんだ。

他がこうだからまだいい、とか、他はもっと酷い、とか、
いまだにそれを説得材料に使うのも驚くが、
それで納得する人がいることにも驚く。
驚くと同時に、そういうことでこうなっているんだな、と納得もする。

そうはいっても、「じゃあどうすればいい?」についての解は、ない。
なぜなら、これまで経験していないことばかりだからだ。
これまで経験していないから、これまで通りではダメで、
これまで以上にたくさんのことを考えていく必要があるのだ。

昔は良かっただろうし、楽しく昔を懐かしむことで、
親睦を深めたり、ストレスを発散することはいいことだと思う。
ただ、これまで通りのことをやっていては、
現状維持する難しいということを、認識すべきだろう。

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