2011年12月13日火曜日

旅の振り返り

東北2泊3日の旅、行ってきました。
思ったことなど、備忘録的に書いときます。
 
1日目
 
松橋くん(白いタキシードの男)は昨年のうちやま農園の
研修生ですが、めでたく明子さんと言う伴侶を得ました。
心から、おめでとう。
結婚はふたりで成長できるという、素晴らしい人生の始まり。
僕と同じく25歳での結婚、頑張ってほしい!
 
早稲田の先輩後輩という間柄のため、早稲田色の強い
結婚式で、僕は馴染めずにじっとしてました(笑)
 
大潟村と言う、国策で湖の上に農業地域を造ったところ。
川、道路、暴風林、農地などなど、すべてがゼロからの
街づくりのためか、どこもかしこも直線だらけ!
(良くも悪くも)曲線が少ないという世界は、
ビルだらけの都心部のような違和感を覚えました。
百聞は一見にしかず。こういう地域もあるんだな、と。
 
 
2日目は仙台に向かいました。
前日の結婚式で紹介してもらった友廣くんが石巻や
牡鹿半島などで復興支援事業を行っており、
石巻に帰るということで、同乗させてもらいましたw
 
不謹慎と言われる方もいると思いますが、
東北に来たからには被災地に足を運びたいと思ってました。
全部は見れませんが、写真や映像ではなく、
現場にこそ真実があるのだと信じているわけです。
 
写真なんて撮れません。今考えると、
伝えることが仕事ではないし、その場で感じ取るのに
カメラは不要だと、思ったのではなかと。
 
石巻周辺と仙台周辺のみですが、
まだ心の整理がつきません。
生活があったが、自然にさらわれ、人に片付けられてます。
復興が進んでいくにつれてパチンコ屋が建ち始め、
そこのは連日満員になるほどの人が入っている。
未だに今日明日のことが大事なので、世論とは考えが異なる。
原発問題に声をあげることの重大さは想像以上。
周辺地域との連携や協力などは、田舎ならでは…。
あちこちでソフト面の悪い方の変化が後を絶たない
(離婚・別居・育児・広義の精神面などの話を聞いた)。
避難・移住できる人は、ほとんどが生活に余裕がある人で、
本当に困っているけど、被災地にとどまらないといけない人は
沢山沢山いる、などなど。
 
あ、できる。と思ったことは、やるべきなんだな、と。
 

で、これは仙台駅から徒歩3分ほどのところにある朝市。
素晴らしいことに、ここは地元の人が利用するんです。
札幌のように観客相手の市場ではないので、
適正価格で新鮮なものが並んでいます。
市民のための街づくりをしているのかな、と関心。
 
 
仙台では積水ハウスのころの先輩3名に会うことができました。
ひとりはブログを見て、「声かけないなんて水臭い」と福島から。
お二人は仙台の仕事場から、無理やり仕事を切り上げて。
復興・住民の生活のために、陰で死に物狂いで働く人たち。
相変わらず、本当に尊敬できる方々ですが、
今回ばかりは、本人たちのことが心配になるくらいの
衰弱ぶりで、会社に怒りを覚えるくらいです。
社会貢献の名目も良いが、社会の中に社員も入れてくれ、だ。
 
 
3日目
 
保育所から高校まで一緒だった、ゆきおくんがいる山形へ。

ハナミズキの木を始めて見ました。
 
彼は地元のお寺の次男坊で、山形県天童市の
善行寺で僧侶をしています。
 
私が美唄に戻ったのと同時に、山形へ来てしまったので、
会うのは4年ぶり。もちろん、変わらないなあ、と。
善行寺はかれこれ500年くらいつづいている、お西。
ここに移ってからは250年くらいらしい。
いい坊さんになってくれることを祈るばかり。
 
それと、山形県は少し好きになった。
流行りのものではなく、素材や原料・知恵など地元のものを
よく活かしているなー、という印象。
オリジナリティの高い食品や土産物など、お金を使いたくなる。
「どこにでもあるしょ」ではなく、ここでしか買えないのだ。
 
 
会いたい友人に会えなかったり、思いがけない人に出会えたり、
旅すると「縁」を感じて感謝することが多いですね。
 
私が家を空けていた3日間、ムスコがRSウィルスで40度の熱をだし、
50cmを超える雪が1日で降るなど、大変なようでした。
家にも感謝感謝です。

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