10月9日日曜日、12:00~、開催しました。
快晴に恵まれ、子供を入れて30人くらいにお集まりいただき、
お命、いただきました。
本っ当に美味しいお肉でした。
そして、みなさんとの交流も充実していたと思います。
農家、体験農園の方々、親戚、友達などなど。
写真を撮り忘れたのは、交流に夢中になった私のバカ。
主想につきましては、最後に挨拶文を載せておきます。
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で、謝肉祭のこぼれ話なんですが、実はこの日が大豆収穫の適期。
前日までの好天と、翌日(今日)の雨予報だったので。
焦ったうちやま農園では、11時~大収穫を開始。
途中、13時~16時までは謝肉祭で中断し、再び大豆畑へ。
終わったのは26時!
実りが乏しかったので、12時間で刈り終ってしまいました。
コンバインに乗り続けた60歳の父の体力と集中力・精神力には
尊敬の念以外ありません。
まあ、今日はぐったりしましたけどね(笑)
ついに、読書の秋に突入!
昨年よりも仕事仕事の毎日でしたが、ようやく余裕が出てきました。
とりあえず、日経ビジネス、pen、uomo、故郷/阿Q正伝、
現代農業あたりから読みあさっていきます。
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本日はお集まりいただき、ありがとうございます。
豚の謝肉祭なので、沢山の方々に食べていただきたいと思ってました。本来なら、アスパラで収穫祭を行いたいと思ってますが、何せ収穫期間中には余裕がありません。
昨年につづいて飼いましたが、豚を飼い、いただく目的は、食育です。いのちを育み、その命をいただくということはどういうことなのかを体験するのが目的でした。
昨年は1頭、今年は2頭に増やしましたが、肉の量が不足したわけではなく、飼いやすいからです。豚は集団生活する動物です。複数頭いることで安心し、脱走しなくなると言われています。少し豚の紹介をします。昨年につづき、愚かながら名前をつけました。トトちゃんとトトトちゃんです。3月30日産まれの雌。5/30に我が家に来て、10/5に屠殺しました。餌はアスパラのほか、給食センターの残飯をもらい、夏休み時期には五十嵐農産のトマトをもらって、給食が足りない時には母が大豆や麦を炊いたりして、与えていました。当初は5kgほどでしたが、最後には15kgを1頭で食べるに至ります。沢山の方々に餌をもらい、子供たちに声をかけてもらい、ムスメに至っては「美味しくなってねー」という愛され方をしました。脱走はしませんでいたが、屠殺日を決めた日、私がいないとき、結婚10周年で札幌にランチに行っているまさにそのとき、脱走し、父が対応しました。なお、購入金額や加工など詳しいことについては、直接聞いてください。
昨年と変わったことは頭数以外に、私の感情的なものがあります。2頭をつれていき、屠殺に出すとき、少し心苦しくなったのです。
昔はみんな豚を飼ってた、屠殺のとき叩くので豚の悲鳴が嫌だった、肉を確保するためにあたりまえだった。一方で、残酷なことするなあ、豚が可愛そう、よく屠殺できるね、とも言われました。豊かになりすぎた時代に、いただきます、の意味を理解するには、僕は家畜を飼う経験をすべきだと思ったし、子供にもさせるべきだと思ってます。やらなくても肉は売ってますし、食べれます。それは野菜やコメも同じです。スーパーにいけば、お金さえ出せば、食べ物・いのちは手に入りますが、モノを大事にすることや本当の価値を知るには、なぜできたかといった起源や、なぜ必要になったかという理由・経緯が大事なのではないでしょうか。
北の国からの再放送が月曜10時~BSでやってます。罠をかけてキツネをとってチョッキを作りたい正吉のじいさんと、そのキツネが可愛いと餌付けするホタル。キツネが罠にかかって憤慨する純と蛍に対し、学校先生が「昔からそういう暮らしをしてきた人を理解してほしい」と言ったセリフが忘れられません。自分はどこまで理解できたのか。
豚は我が家にいましたが、餌はもらったものです。みなさんに育ててもらったと思ってます。豊かになった時代に、いのちをいただくという現実というか、私たちの暮らしというか社会というか、取りまく環境などについて、おこがましいですが、少しでも考えるきっかけになれば幸いです。
2 件のコメント:
いい文章ですね。
殺して頂くのはいいですね。
あさひや農場さんのブログの過去記事に,イベントで鶏を絞めて料理すると,最初「可哀そう」と言っていた子供たちが「美味しそう」と言いだす瞬間がある,というような記述がありました。
kazedayoriさん
あ、嬉しいです。kazedayoriさんにはアスパラよりも文章を褒められる方が嬉しいかもw
鳥を絞めることもできるんですね、あさひやさんて。うちの子も、トトちゃんのお肉、美味しいねー、と関係性は理解しているようでした。でも殺すところを見せてこそ、なんでしょうね…。
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