2026年2月18日水曜日
スタッフ募集2026年
2026年2月15日日曜日
泥炭で農業をするということ
泥炭で農業をするということ
(以下の内容は、私が2時間話した内容をAIで要約したものです)
― 変化する気候の中で土と向き合う意義 ―
泥炭土壌は、一般的な鉱質土壌とは本質的に異なる。
それは、長い年月をかけて湿地に植物残渣が堆積し、未分解のまま蓄積された有機質の層である。北海道の泥炭地はおよそ数千年をかけて形成され、場所によっては数メートルの厚さを持つ。そこには、かつての植生の歴史が閉じ込められている。
しかし「泥炭」と一括りにすることはできない。
堆積した植物がミズゴケ主体なのか、スゲ・ヨシなのか、木質残渣なのかによって、養分量も分解速度も保水性もまったく異なる。1キロ離れただけで作物に適さない泥炭も存在する。泥炭で農業を行うということは、まずこの個体差を受け入れることから始まる。
泥炭は養分を多く含む。特に腐植由来の有機酸は、養分の急激な吸収を緩やかにする緩衝作用を持つ。この特性は、冷涼だった過去の北海道では大きな利点だった。夏が短く気温も低かった時代、泥炭の養分供給力は作物の生育を支え、翌年への蓄積を可能にした。アスパラガスのような多年生作物にとって、泥炭は「力のある土」だったのである。
しかし現在、気候は変わった。
夏は高温化し、分解は加速し、作物は与えた養分を過剰に吸収する。かつては利点だった養分供給力が、今は過繁茂や翌年の芽数減少につながる要因にもなり得る。土壌の本質は変わっていない。変わったのは環境である。
ここに、泥炭農業の本質的な意義がある。
泥炭は「向いている」「向いていない」という単純な評価では語れない。
どう使うか、どう制御するかによって価値が変わる土壌である。養分を吸わせる技術よりも、「吸わせすぎない技術」が求められる。施肥設計は固定的ではなく、気温・降雨・分解速度を前提に再設計されなければならない。
また、泥炭地は水との闘いでもある。地中の水脈は基本的に変えられない。同一圃場内でも排水性に差が生じる。全面改良は可能だが、費用対効果を考えれば現実的ではない。泥炭農業とは、自然条件を完全に矯正するのではなく、その揺らぎを理解し、許容し、使いこなす営みである。
泥炭で育つアスパラガスは、独特の香りと柔らかさを持つ。
それは単なる「有機物が多い土」という説明では足りない。長年堆積した植物由来の腐植が、微生物相や養分放出のリズムを形成し、作物の二次代謝にも影響している可能性が高い。泥炭は単なる培地ではなく、時間が蓄積された環境そのものだ。
しかし、その品質優位性もまた、気候に左右される。
20年前の冷涼な夏に生まれた味は、現在の高温環境では完全には再現できない。今できるのは、変化した環境の中で最良を目指すことだ。技術とは、理想を生み出すことではなく、劣化を食い止める努力の積み重ねでもある。
泥炭で農業をする意義は三つある。
第一に、土地の個性を理解する営みであること。
泥炭は均一ではない。だからこそ、観察と分析、仮説と検証が不可欠になる。土壌分析は単年では意味を持たず、複数年の傾向から設計する。だが最終的な判定は作物が下す。理屈と生体反応を往復する姿勢こそが泥炭農業の核心である。
第二に、気候変動への適応の最前線であること。
泥炭は環境変化の影響を受けやすい。分解速度、病害発生、養分吸収が気温と直結する。だからこそ、環境の変化を敏感に捉え、栽培方法を更新し続ける必要がある。泥炭農業は、過去の成功モデルを守る農業ではなく、常に書き換え続ける農業である。
第三に、品質を軸にした農業の可能性を示すこと。
かつては量で評価された。しかし現在は味と個性で評価される。泥炭の特性を理解し、制御し、活かすことで、他土壌では出せない品質を生み出すことができる。それは単なる差別化ではなく、土地の歴史を味として表現する行為でもある。
泥炭で農業をするとは、
過去の植物が積み重なった時間と、現在の気候変動の只中で、作物と対話することだ。
自然条件を言い訳にせず、
成功体験に固執せず、
土壌の性質を理解し続ける姿勢そのものが、泥炭農業の価値である。
泥炭は難しい土である。
だが理解すれば、強い。
その難しさを引き受けることこそが、
泥炭で農業をする意義なのだと思う。
年始、振り返り
2025年11月17日月曜日
サッカーという呪縛
昨日、中3の息子のジュニアユースでの最後の試合が昨日終わりました。
あっという間で楽しかった3年が終わりました。
高校ではもっと楽しいサッカー生活が待っていることでしょう。
3年間黙っていたことを、ここでぶちまけようと思います。
サッカーは習い事ではない。
真剣な遊びだ。
だがその遊びから得るものは大きい。
それがサッカーを続けても良いと思う理由です。
プロを目指すという漠然とした理由で続けていたり、
進路のためにスポーツを続けるという親子が多いことに驚きます。
自立していない子供が多いし、チーム存続のために
優先順位がチームに偏って、子供を蔑ろにしている
指導者があまりに多い。
札幌に限らない問題みたいです。
自分の子供に期待しすぎても、最後には子供が困りますよね。
サッカースクールでは、子供に自信を持ってプレーさせることを
第一の目的としているので、
もしかしたら勘違いをさせていることもあると思いますが、
親が冷静に自分の子供のサッカーにおける「状況」を
判断してあげることは、とても大事です。
夢を持たせるような話はたくさんありますが、
そもそもの運動神経が大きく関わってきます。
その子にあった進路と、本人の自立心と、
バランスよく判断できると良いと思います。
日本のスポーツがまだまだ未発達だと思う理由に、
子供の成長段階に応じた対応ができる体制になっていないことが挙げられます。
チーム方針に従うしかない。
そのチーム方針が「勝つこと」にしか向かっていない。
情けないです。
表面的には拙い言葉を使って巧みに「育成」していることをアピールします。
それは、どこのチームにも当てはまります。
勝つことの目的は、チームの維持です。
チームを維持するには、たくさんの子供がチームに所属することが大事です。
育成することが大事だと大きな志でチームを作った人も、
いつしかチームの維持が目的となってしまっています。
また、成長度合いが子供ごとに違うにも関わらず、
そこに合う指導プログラムはありません。
皆無です。
合わせろ、くらいの姿勢です。
中学生は、体つくりが第一。
怪我をさせる指導者は、馬鹿だと思います。
その子の将来をなぜあなたが阻害するのですか?と。
また、精神的にも未熟ですし、何せ思春期真っ盛り。
大事にしすぎるのも違いますが、
個性の尊重と責任、人としての心の持ちようなど、
サッカー指導者だけに任せて置けない状況は多々あります。
これらに対して反論される方もたくさんいます。
しかし、第三者として見ている限り、その印象を拭えないという事実を
コーチやトレセンやJリーグ所属チームは真摯に受け止めるべきでしょう。
そして、こういう意見を言う親がいると、
その子供が不利益を受けるという情報のつながりも、即刻やめてほしいです。
モンスターペアレントと認定されて、子供が不当な扱いを受ける事例は、
ちらほら聞こえてきます。
また、子供の自立についても、意見が分かれるところです。
サッカー少年というか、高校生になっても、自立心が育っていない子が多い。
自分で考えて、自分で決める。
周りの環境に左右されずにそれができるかどうかが、
自立の判断になりますが、そうさせていない親が多い。
フィールドではチームでプレーしますが、
究極の判断は1人です。
そして、社会に出てからも同じです。
自由であり、1人であり、チームでもあります。
人間としての成長は、そのことを理解して、自立することにあると思います。
などなど、答えの出ないことを悶々と考えた3年間でした。
私は、です。
息子はサッカーを楽しそうにプレーしていました。
そして、勉強と怪我しない体つくりができたことは、
高校につながる財産だと思います。
子供がどういうサッカーを好むかは、
子供がわかっています。
僕もサッカー素人なので、初めはボール扱いが上手い、
体が強い・大きい、速い、などに目を奪われました。
しかし、息子は、チーム連携や、ポジショニング、
アイディア、素早い判断、など、
チームとしてトータルにプレーするサッカーを好んでいます。
つまり、クライフの言うトータルフットボールとか、
バルサのサッカーとかです。
個人技も大事ですが、チームの歯車として機能的に判断し、貢献するか。
それを共有できる相手とサッカーできる環境に来ることを祈ってます。
サッカーに脳みそを侵された親の戯言でした。
2025年11月13日木曜日
片付けおわり、ゆっくりと
2025年9月9日火曜日
ゲリラ豪雨、何回来るんだ
8月は雨の多い月でした。
毎日毎時、雨雲レーダーみていたと思うくらい、
小さい豪雨の雲がやってきて、畑を荒らします。
うまく外れる時もあれば、もろに当たってしまう時もあり、
もう運まかせですが、今来なくても30分後には当たる、みたいに忙ない天気。
ぼやいても何も良くなりませんが、雨の降り方が極端になり、
それへの対応が難しいです。
サーッ、とか、しとしと、とか、そんな降り方なら対応しやすいのですが、
ボタボタ、とか、ドバーッと降りますね。
土の表面がぐちゃぐちゃに跳ねるので、バランスも何もぐちゃぐちゃになります。
なんとか対策してこんな綺麗な畑になったかなーと思っても、
実をつけないように管理するのが、農家の腕の見せ所ですが、
少しはつきますw
たくさんつくこともあります。
そして、大失敗しているミニトマト。
定植時に高温にあたってうまく苗が活着せず、
生育遅れを取り戻そうとたくさん液肥と水をやったから徒長気味。
でも花はたくさん着けてしまって、それがトマトの体力を奪い、
実の肥大がいまいち。
アスパラ最優先なのである程度は我慢しますが、
暑さを甘く見ていた技術の拙さを反省します。
9月は本州にはトマトがなくて、それを助けるために作っているのに、
情けないです。
反省は来年への糧。
もう少しで今シーズンも終わるので、怪我しないように仕事します。

















