2013年9月30日月曜日

産地を育てる

産地を育てる。

そんな言葉が昔はあったようです。
市場が産地指導をして、産地はそれに応えるように良い農作物を作る。そしてよい農作物に対しては、周りよりも良い値段がつく。それが小売価格や陳列棚にも反映され、消費者も恩恵を受ける。そしてついた値段に対して負う農家の責任も大きい。

そんな理想的な関係が農家と市場の間に昔はあったようです。

生産者側主導から消費者主導へ。ニーズが大事なのはわかりますが、弊害として生産者は物づくりに集中しなくなったのかもしれません。

どのシステムが良いかは、その時代その時代の市場が決めます。今市場に求められている役割を農家も考えた方が良いのではないでしょうか。


大量に個人で売れない量を生産する時点で、市場への依存度は増すばかりです。安い安いと文句を言うよりは、市場との協力関係を築き、消費者の下に自信を持って商品を届けられる体制を築くことも必要です。


いい野菜がスーパーで買えない、という消費者の悩みを生産者はわかっているのでしょうか。これが聞こえないのは小売をしていないからではなく、消費者の声を聞いたつもりになっていることや、市場や仲買との関係が希薄になっていることが要因だと思います。時間は5年10年かかるはずですが、やらないと年々苦しくなるのは生産者です。


デフレだから仕方ない、消費者が安いものを求めている、小売店からの値下交渉が厳しい、今日食べていくだけで精一杯…。
言い訳はもう充分です。

作る努力をせずに営業努力だけで営農が成り立つと思ったら大間違いです。北海道は少なくとも小売だけで食っていける農家はごくわずかになりますので、1番大事な作る事から見直すことが求められていると感じます。小手先だけの営農は通用しません。昔からそうだと思いますが常に基盤を盤石の状態にしておくことが大事では無いでしょうか。

つまりは、産地を育てると言う市場側からの話に始まりましたが、それぞれの農家やそれぞれの市場そして消費者まで全員が、育ち育て上げる環境を作るべきだと思うのです。それにはそれぞれの役割を妥協なくきっちりこなすことから始めましょう。


初遊園地

秋晴れの中、これまでの罪滅ぼしで、
子どもたちを遊園地に連れて行きました。


初めてなので、大はしゃぎ。


平日ということもあり、ほぼ貸切状態(^^)


乗りまくりの5時間。
大満足してくれたようです。
よかったよかった。


農繁期は天気がいい時には仕事なので、
秋のこの時期だけです、晴れても遊びに行けるのは。
それも改善したいことのひとつです。

2013年9月25日水曜日

美唄を知ろう

本日、帰農6年目にして、ようやく美唄郷土資料館に行きました。
たぶん、小学生以来なのでかれこれ25年くらい振り。
きっかけは3年前。
農業の師匠に「地域の歴史も知らずに土地を預かってんじゃねえ」
と怒られたからです。
滞在時間は約100分。
ひとりでいい勉強ができました。
 
 
一番大事な写真を忘れてしまいました。
入口すぐには、美唄の特徴である泥炭土壌についての情報があります。
 
泥炭は湿地に分解しきれない植物が堆積してできた土壌のようなもの。
生成には1年で0.7mm-1mmと言われているので、
うちやま農園が6mの泥炭ということは、6,000年前から始まったということかな。
19世紀末には明治政府が調査に入っていたようですが、
原住民であるアイヌが険しい湿地帯を案内したそうです。
  
 
その湿地帯の基とも言える石狩川。
この川は昔はくねくね曲がっていて、日本で2番目に長い川でした。
しかし現在は利根川に抜かれて3番目。
その原因は、河川の増水・氾濫による被害をなくすための土木工事です。
何度も何度も工事して、黄色い線の川を黒い線の川に変えました。
これは美唄周辺だけなのですが、雨の恩恵は昔は被害なだけだったんでしょうね。

 
こちらは開拓初期の農機具。
草取り、泥おい駆除、
足踏み水車、馬が引くプラウなど。
大規模な開拓については、1891年に屯田兵が入植して始まります。
その前には、道路や鉄道を作っていたのですが、
主に工事に当たったのは囚人だったそうです。
後に炭鉱でも触れますが、囚人や捕虜に過酷な労働をさせ
(時には命を落としてまで)、できあがったインフラだと再認識しました。
屯田兵はというと、開拓のためなので、兵屋、農具、5haの農地、馬などに加え、
公有財産地として5haを与えられていたので、優遇もいいとこですね。
私が高校生のときには、バス停に「兵村北」とか「24年兵」とかありましたが、
その時の名残で付いていたんでしょう。今もあるのかな?
  
 
こちらは索道客土の写真。
今ではスキー場でよく見かけるゴンドラですが、当時は山から土を運んでいました。
美唄は泥炭土壌で原始林が生い茂る状態を農地に変えました。
ミネラル分の殆どない、水引の悪い湿地帯のような土地で農業を行うことは難しく、
改善するために山の土(主に粘土質)を運んだのです。
こちらの写真は軌道客土。
うちやま農園では馬に台車を引かせて土を運んだと聞きます。
もう祖父はいませんが、各農地まで軌道が引かれていたわけではありません。
終着点までいって、戻る。1回でたぶん数㎥。
70,000㎡の土地に粘土を運ぶのに、何往復したんだろ…。
 
話は聞いていたし、この写真を見るのも初めてじゃありません。
でも、改めて見ると、その偉大な作業がよくわかります。
 
初めて知ったことは、もともと稲作地帯ではなかったということ。
当初は畑作がメインだったようで、1909年には稲作が557ha/4,657haと
農地全体の12%程度でしたが、1937年には同5,400ha/10,000haと54%を占めていたと記録。
祖父が開拓で入ったのが1951年なので、おそらく、農業=稲作という地域になっていたんでしょう。
祖父の米作りが父のアスパラに変わっていく背景には、農業政策の転換、
いわゆる減反政策の開始があります。
 
うちやま農園だけの歴史を見るのと、地域の流れを理解してから見るのとでは、
外のも内にも考えるところはあります。
特別なことをやった訳じゃないかもしれないけど、たぶんベターな選択はしたんだろう。
そして、今も続いているということ。
 
 
 
美唄には農業の歴史とともに重要な歴史があります。
それは、炭鉱。19世紀後半から採掘が始まったようで、
国力増強とともに需要も高まり、美唄の主要産業として街を支えました。
ピーク時の1956年には人口9万人を超えましたが、炭鉱が全て閉山する1974年には
4万人を切っています。どれだけ美唄を支えてくれていたか…。
写真は、明治時代から昭和の戦後の石炭掘削の様子です。
左が明治、中が大正、右が昭和。
よくわかるんですが、ここでの館内放送は、掘る人の息遣いのみ。
人感センサーで息遣いが急に流れてくるので、小学生のころは恐怖でした。
で、今日もいつ聞こえてくるかとびくびくでした。
 
やはりというか、鉱山は地底深くまで作業員が入っており、
当然ガスや火災による事故も多く、二次災害を防ぐために人を残して坑道を塞いだり…。
こういう犠牲はある程度仕方ないとされていたんでしょうね、当時は。
当然捕虜もいたでしょうが、普通に国民もいたと思われ…。
  
 
 
炭鉱と農業。
美唄はこれでできた街です。
ともに国策で必要とされ、国策で不要とされました。
エネルギー政策の転換、農業政策の転換。
いかに依存していたか、いかに先が読めなかったか、
いかに挑戦しなかったか、いかに社会主義的であったか(これは言い過ぎ)。
でも、それは事実、あったこととして受け入れるしかない。
もう、過去のこと。
 
 
 
これ、茶志内付近。たぶん駅前かな?
茶志内駅(無人駅!)は1916年にできているから、もうすぐ100年。
  
 
で、思わず撮っちゃう写真。
植えてる植えてる。

とってるとってる!
…って、山に雪ある!5月の連休明けたら収穫してたとは聞くが、
写真みるとびっくりしますね。
霜が明日にも降りそう…。
 
もちろん、選果は人力。
多い時は1日で何十トンも運ばれてきたそうな。
 
 
懐かしい、美唄市街。
シャッター下ろしている商店はひとつもない。
  
で、問題の未来構想。
リゾート・工業ベルトともに、夢見すぎた。
 
1980年の構想では公共施設が沢山建つことになってる。
でもさ、炭鉱閉山のあとにこの構想をするって…。
 
 
確か戦後間もない教室。
正しい姿勢。
大事です。
  
我が母校、茶志内中学校。

 
 
勉強になりました。
郷土資料館、ありがとう。
諸先輩方の発言の背景が少しわかったり、大事なことや拘りがわかったり。
農業については良くも悪くも理解が深まった。
変わらないと終わる、という危機感はより強くなったかな(笑)

2013年9月23日月曜日

秋真っ盛り

もうね、9月10日過ぎてからは毎日このくらいしかとれません。
ハウス3棟(9畝)で4kgくらい。
この量になると1週間くらいで終了するんですが、
今年は少量収穫の日が長い。
名残の作業が長いというのも、少々疲れます。
だって、時間かけても全然収穫なかったら気持ちが萎えますよ。
  
  
こちら、家の前の畑。
一気に擬葉が落ちてしまいました。
いくら予防で殺菌剤をまいても、葉が茂って風当たりが悪い場所は、
土にある斑点病の菌が付きますね。

こういう状態をみると概念的有機農業をやっている人たちは、
「農薬のせいで土の耐性が落ちている」とか「殺虫剤で生態系バランスを崩している」
とか言うと思います。
全く間違いではないです。
ただ、農業自体が自然ではありません。
人為的正義に則って作る畑に、自然の秩序が当てはまらないことが多いです。
自然と虫がいなくなるのを待つという手段もあるでしょうが、経済の問題です。
虫に食べられつくしたら、来年のうちやま農園はありません。
破産です。
気候、土壌特性、産地化、連作条件、投入資材など、
書くとキリがありませんが、あとひとつだけ。
アスパラは永年性作物で、且つ収穫するまで2年待ちます。
ですが、毎年きっちり管理しなければ、翌年はないのです。
アスパラ栽培においては殆どの農家が副業的に行っています。
メインが米や穀物にあり、少ない面積で少しでも稼ごうかな、
でも手はあまりかけたくないな、という農家が作っているケースが
北海道ではほとんどです。九州には沢山いますが。
少々取れなくなっても経営に大きな影響がない、という農家のアスパラ作りと、
アスパラがダメなら破産する、という農家の収穫量に対する執着は、
天と地ほど離れていると言っても過言ではありません。
 
言い訳するつもりはありません。
確かに農薬は使わないに越したことないです。
使わなくてもいい作業体系や土づくりを目指しているんですけどね。
徐々に技術を身につけて行きます。
この畑は、葉が落ちましたが、リン芽群が広がっているので、
終了に大きな落ち込みはないと思います。
思いたい?(笑)
 
 
庭に客土中です。
ここ、全然収穫できないイヤ地になっているので、粘土を20cmくらい敷きます。
ダンプがないので、男二人が機械に乗って運びます。

 
稲刈りや麦の播種、大豆収穫など、収穫の秋を迎えています。
しかしうちやま農園は、この時期が自由に仕事できる時です。
アスパラの収穫が終わり、大豆の収穫までの時間。
ハウスを立てたり直したり、土を運んだり、道路を直したり、
時間のかかる仕事をやっつけるには、いい時期なのです。
 
同時に行楽シーズンでもあります。
何とか子供たちと動物園か遊園地に行きたい。
雨上がりの快晴には必ず出掛ける予定でいます^^

2013年9月10日火曜日

すっきりしない日々

ここ5日、毎朝の最低気温が12度です。
そうなるとアスパラの伸びは鈍化し、
早いものは曲がって収穫できない株も出てきます。
下の部分が濃い紫だし、緑色も薄いので、寒そうに見えます。
見えますよね?(笑)
  
 
こちらは5/12定植のスーパーウェルカム。
露地でこれだけの生育をしてくれたら嬉しい。
来年の春には少しとって、夏どりがっちりして、
再来年にはたっぷりとって基盤整備の穴埋めをしてくれるでしょう。

 
公私にすっきりしない最近。
認めてもらいたいという欲求がみたされていないのではないかと自己分析。
そう思う自分の思考がズレているんですけどね。

2013年9月3日火曜日

雨がしとしとで

8/30から、予報では9/4まで、雨がしとしと降ってます。
仕事は収穫とハウスの草取りくらいです。
 
収穫と言っても、殆どはパートさんにやってもらってます。
私はハウスの収穫と、人数が足りない時の補助くらい。
夏の収穫は腰をかがめたままの作業が殆どなので、そうとう疲れます。
お昼休憩、2時間から3時間を要します(笑)
 
そんな中で収穫していただいているパートさんには頭が上がりません。
 
でも、それ以外にもしっかり仕事してるんですよ。
段取りや防除や選果や来客対応や水管理や…。
まあ、当たり前なことだけですけど…。
 
 
 ハウスのパプリカ、一気に色づいてきました。

こちらはエダマメ。
  
6月に定植したアスパラ畑。
パートさんのおかげで草がありません。
草退治は、家族だけだと限界ありますね。
  
圃場周りについてくる子供たち。
なんとなく視察っぽい(笑)
  
これ、かわいそうなアスパラ。
うちのアスパラじゃないけど、これじゃ来年とれないね。

 
 
怒りがふたつあります。
ひとつめ、立茎栽培のことを知らないで、批判してんじゃねえ。
少数の栽培をみて多くの農家のやってることをしったような口で批判すんなよ。
特に誤解の多い栽培方法については、作物の生理を知ることが大事でしょうが。
なぜ親木を一本残すのか、どうやって残すのか、どうやって来年につなげるのか。
もう少し勉強してから文句つけろっつーの。

ふたつめ、お前らとれてないじゃん。
うちはとれてる、というけど、反当何キロとってんのか、計ったことないでしょうが。
農協が早く教えてくれないからヨトウムシだらけになった、とか、
どの資材をかけたらとれるのか教えてくれないとか、
生産者としていかに現場を回ってないかを露呈しているってことがわからないのね。
誰も教えてくれない、じゃなくて、オメーが聞いてねーだけだろ(怒)
ひとつの資材や方法で劇的な変化なんてあるわけないでしょ!
小さいことの積み重ねが増収につながるんです。
自分は何も知らない、ということを知れ!
 
 
終わり。

2013年9月1日日曜日

カラダ

体が資本。これ、仕事や人生には大切なこと。

農業は体力勝負じゃないけど、一定以上の体力は最低条件。

若い時には無茶苦茶働いても大丈夫。でも、30とか35歳過ぎると、あれ?なんか疲れがとれない、とか、急に腰が…、となります。

これは、急に、ではありません。これまでの蓄積です。長く働くには、メンテナンスが欠かせません。これまで使いまくった体は、相当な無理がかかり、いつ壊れてもおかしくありません。

現場の経験は、凡人には必須です。体を大事にしましょう、と若い農業者に言いたい。口を酸っぱくして。

8月終盤の畑

保育園での芋掘りです。
 農家の子供でも、友達と土と戯れるのは、別の楽しさがあるみたい。
保育園では芋を植えて芋を掘るという行事があります。
われわれも保育所や小学校で経験しましたね。
これで食育とか食の大切さとか、そんな大層なことは言いたくない。
でも、ただ踏襲しているだけの行事だとしても、
子供が楽しいと感じることができる行事をひとつでも、
と時間や労を惜しまずに裏方作業をする先生と役員の父母さん。
 
その気持ちや姿勢は本当に頭がさがります。
幼心に残ってるその行事の背景がわかったとき、繋げてよかったと思います。
毎年こうしてつながったんだな、なんてことも感じたり。
 
 
こちらはJAびばい祭のキョウリュウジャーショーのあとの握手会。
これはノーコメント(笑)
 
 
帰宅後の子供たちを軽トラに乗せます。
これ、すっごく喜ぶんですよね。
 
 
アスパラの試験品種の様子です。
6/3にセル苗から定植したのですが、マルチを張ると
こんなにも生育が旺盛になるようです。
基盤整備後は、マルチしてセル苗定植という方法を多用します。
草取りも楽だし。
でも、ポット苗の方が安定感はあります。