失敗することへの恐怖。
これは失敗がその後に及ぼす影響も然ることながら、
自信喪失や信用失墜など、様々なことへ波及する。
金銭的にも精神的にも、この失敗をしないことが一番。
だが、小さな失敗という名の「経験」こそが、
ある種の成功のためには非常に大きな意味を持つと思う。
失敗を怖れることこそ、自己成長には障害となる。
失敗をわざわざすることはない。
というよりも、賢い人や良く考える人ほど、
失敗しないように事前に予防線を張る術をよく知っている。
その予防線を張るアンテナのようなものは、
机上の勉強や情報収集、失敗などの経験からくるものだろう。
それでも、失敗はおこる。
私が思うのは、経営者としての失敗と、
従業員としての失敗の、ことの大きさの差だ。
従業員としての挑戦は、失敗の責任は社長がとるので、
気軽に考えられる反面、取り組む事業の規模も小さくなりがち。
経営者の挑戦は社運を左右するため、
失敗の責任も規模も大きくなりがち。
事業継承を受けて2年、これまでよりも好きなことができる反面、
ひとつひとつの選択・決断には熟考を要している。
数も多いので、ある程度のスピードの中で
的確な選択をしていく作業、本当に日々の小事が大事だ。
話が逸れてしまったが、失敗することはある、と言い切れる。
なぜなら、最後の結果が良く出るか悪く出るか、半分は運によるからだ。
失敗を糧にしろ、というのは簡単だが、
失敗のショックから立ち直るだけでも大変だ。
それでも尚、失敗をしてでも挑戦した方がいい。
なぜなら、自分を成長させるのは挑戦であり、
挑戦には失敗がつきものだからだ。
上手くいってる時には、見えにくいのが失敗だ。
失敗する可能性は常にあるし、
その傾向なんて至る所から見えているし、
失敗するかしないかは紙一重のことがほとんどだ。
どこに落とし穴があるかわからない。
失敗することは、恥ずかしくないし、隠すことでもない。
それをもとに、助けが得られたり、仲間が増えたり、
誰も見つけられなかった解決策を見つけたり、
これまで見えていなかった世界と出会うきっかけにもなる。
失敗は怖くないので、挑戦しましょう、という話・・・?
というわけでもないのだけれど、
考えて、人のために挑戦していくことは、
結果がどっちにころんでも自分を成長させるし、
あとあと良い方向に進むことが多い、と言い切れる。
2017年12月6日水曜日
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