2018年1月17日水曜日

「新しい事を始める」に嫉妬

新しい事を始めたい。
この言葉に嫉妬を感じてます。

変わり行く環境の中で、同じものをつくっていくことの、
難しさと尊さについては理解しているつもりだし、
私はそこに挑みたいと思っている。

しかし、新しいことへの挑戦、という言葉に対して、
同じものを求めることについて、バカにされたような、
卑下されたような気持ちになります。
もちろん、私が一方的になります。
相手はそんなこと思っていない。

ゼロ(0)からイチ(1)を生み出す人と、
イチ(1)をジュウ(10)にする人。
私は自分を後者だと思っている。
でも憧れるのは前者。

達成する目的が「アスパラをつくり続ける」であるとして、
そのアプローチは何百もあると思います。
それこそ、環境の変化の中ではアプローチを変化させるのが
当然ですが、それは新しいことをするのではなく、
変化に柔軟に対応した、というだけなのです。
それは目的を達成するために当然のことです。

そこではなく、新しい目的を見つけたことが羨ましいのかもしれない。
気づきよりも、発見の方が興奮します。
自分のやるべきこと、やりたいことから
外れているし、それを探そうとも思わないのですが、
「新しい事を始める」に嫉妬するということは、
潜在的に求めている何かがあるのかもしれない。
たぶんそれは自然発生的に顕れると思うので、
今はその欲求が「あるのかもしれない」という認識に
すっぽりと納まっています。

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