新しい事を始めたい。
この言葉に嫉妬を感じてます。
変わり行く環境の中で、同じものをつくっていくことの、
難しさと尊さについては理解しているつもりだし、
私はそこに挑みたいと思っている。
しかし、新しいことへの挑戦、という言葉に対して、
同じものを求めることについて、バカにされたような、
卑下されたような気持ちになります。
もちろん、私が一方的になります。
相手はそんなこと思っていない。
ゼロ(0)からイチ(1)を生み出す人と、
イチ(1)をジュウ(10)にする人。
私は自分を後者だと思っている。
でも憧れるのは前者。
達成する目的が「アスパラをつくり続ける」であるとして、
そのアプローチは何百もあると思います。
それこそ、環境の変化の中ではアプローチを変化させるのが
当然ですが、それは新しいことをするのではなく、
変化に柔軟に対応した、というだけなのです。
それは目的を達成するために当然のことです。
そこではなく、新しい目的を見つけたことが羨ましいのかもしれない。
気づきよりも、発見の方が興奮します。
自分のやるべきこと、やりたいことから
外れているし、それを探そうとも思わないのですが、
「新しい事を始める」に嫉妬するということは、
潜在的に求めている何かがあるのかもしれない。
たぶんそれは自然発生的に顕れると思うので、
今はその欲求が「あるのかもしれない」という認識に
すっぽりと納まっています。
2018年1月17日水曜日
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