2012年9月24日月曜日

違和感(いつもの偏見)

「食の大切さ」って、何?
きっかけはNHKのニュースで稲刈り体験をした
教育大学の実習生が、コンバインに乗ったりした後で、
「この体験をいかして食の大切さを伝えたいです」
と言ってたこと。
 
 
いつも思うから文章にしてみます。
食の大切さ、とは、何を指しているのか?
冷静に考えても、よくわからないことを言っていると思う。
 
 
この時期、稲刈り体験をさせて食の大切さを伝えたい、
という報道や農家の情報発信をよく見聞きします。
 
 
食の大切さとは、何を伝えれば良いのでしょう。
稲刈りすることは、機械がない時の稲の刈り方を学ぶのか、
効率の悪さを身を持って体験することなのか。
 
 
米のでき方なら、稲刈りだけでは伝わらない。
収穫の喜びなら、残念ながら収入を含めないと実感ないでしょう。
残さず食べる、食料を無駄にしないために生産者の仕事を知る、
ということなら意味があるかもしれません。
だって、廃棄される給食や、外食・中食産業の残飯は、
本当に大変な量ですよ。
 
 
体験したことで満足することもあるでしょう。
でも、大切さをそこで上乗せして学んだと言えるのでしょうか?
大切な、という形容詞を、大切さ、という名詞にして、
何かかわるのか?
 
 
そんなことよりも、
100円ハンバーガーの意味、創作料理で市販のマヨネーズ、
サプリメント常用、お菓子やレトルト食品などで体を造る食を疎かにしてること、
給食を残すこと、家族の好みの食事ばかりで栄養バランスや旬はそっちのけなこと、
そういうことを考え直す方が、よっぽど食の大切さを知れるのではないか。
 
 
確かに、食は大切です。
食は生きるために大切、健康のために大切、
・・・な、重要要因です、ということだと思う。
 
 
食が大事なのはわかっていて、それを深めるために
稲刈りなどの収穫体験をすることって、
何かプラスになっているのか?
現場への丸投げになっているんじゃないのか?
そして、「食の大切さを学ぶ」という言葉を
曖昧なまま使用して、何かを誤魔化しているような気もする。
本質、とか、大切さ、とか、思い、とか、はっきりと言えないから
都合良い言葉で当てはめているだけじゃないと、偏見まみれに思う。
 
 
 
こんな文章を最後まで読んでいただいて、誠にありがとうございます。
もの申したいけど、友達が近くにいないためにここに書くこともあります。
サラリーマン時代は飲んで話してすっきりしていたんですけどね。
 
 
ちなみに・・・
うちやま農園でも収穫体験やりますが、
食の大切さを伝えようとは思ってません。
農業のことを、農家が直接伝えることができる
何かがあるんじゃないかと思ってやってます。

2 件のコメント:

森末 さんのコメント...

僕もついついこういうことを考えて、頭の中で悪態ついてますよ。思考停止せずに、本質を追究し続けることですね。死を迎えるまで。

ひろし さんのコメント...

森末さん 

人それぞれの問題意識や課題があるとすれば、本質って、その数だけあるということですよね。受注のため、契約のため、という単純な目標があれば絞れるんでしょうけど。

サラリーマンの勉強中には課題の本質を探る、ということに一生懸命になりましたが、今では意識せずともひとつひとつ(仮でも)答えを出していかないとい進めないです。